[日曜の風]国民の存在、軽くなった? 声を上げよう


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 自民党内で、千葉の台風被害の対応は「東電が悪い」ということになったようだ。千葉県での停電被害を受けた対策会議では、出席した議員が「東京電力の復旧の見通しの甘さというのが、全体として響いている」といい、17日には世耕弘成前経済産業相が東電の対応の遅れを批判した。

 東電と安倍政権は長いこと蜜月だった。なのに、ここに来て東電をトカゲの尻尾に決めた事情を鑑みると、今回ばかりは安倍晋三首相は頭を抱えているのだと思われる。

 千葉台風被害の安倍政権の対応で、この政権が国民の命や財産をなんとも思っていないことがバレてしまった。

 安倍首相が重い腰を上げたのは、4日もたってから。しかも対策本部を作るとかではなく、閣僚たちにささいな指示を出しただけ。菅義偉官房長官に至っては、13日の会見でも台風被害を豪雨被害と間違えるほどだ。彼らがその間、夢中になっていたのは内閣改造。それは国民の命より優先されるものなのだろうか?

 ちなみに小渕恵三元総理は、JCO臨界事故を受け、内閣改造を4日も遅らせていた。1999年のことだ。

 こういった話を、千葉限定の話にしてはいけない。この国の誰もが被災者になりうる。あたしたちは、馬鹿にされているのだ。軽く扱われている。99年から20年たった今、あたしたち国民の存在はいつの間にか軽いものされてしまったのではないか?

 大企業は過去最高の内部留保金を上げ、その一方、労働人口の約40%が非正規、この国の人間の7人に1人が貧困に喘(あえ)いでいるといわれている。なぜ、ここまで無策だったのか? この国が国民一人一人の命やその生活に興味がないからだ、そういわれても仕方あるまい。

 安倍政権の対策で上手(うま)くいったものは、マスコミの使い方。困った人を「自己責任」と叩(たた)く世の中を作った。だから、苦しくても声を上げづらい。この国の空気は淀(よど)んだ。

 まだ大丈夫な人は、今声を上げなきゃ。

(室井佑月、作家)