日本外務省が太平洋戦争後にフィリピンに残された日系人の日本国籍回復支援に乗り出した。先陣として南部ミンダナオ島で石川義久駐ダバオ総領事が日系人32人の面接調査を21日までに完了。日本の家裁に提出する報告書を作成して後押しし、既に6人に戸籍を作る「就籍」が許可された。外交官面接は今後、フィリピン全土で行われる。
「日本人が私を訪ねてきてくれたのは初めて。幸せです」。日系2世の田村ナティビダドさん(83)は15日、同島サンイシドロで石川氏の来訪に歓喜した。反日世論が高まった戦後も日本人であることを隠さず「タムラ姓を使い続けてきた」と誇らしげに訴えた。ココナツ農民だった日本人の父は戦時、山中に避難し、消息を絶ったという。
2001年、2歳下の弟と日系人会に国籍回復を求める書類を提出し、父の身元調査を依頼した。弟は日本人と認められることなく12年に死去した。その後、父の戸籍は見つかったが、体が弱り、訪日の夢を果たす自信はない。
対象者32人は支援団体「フィリピン日系人リーガルサポートセンター」が情報を集め、昨年12月以来、石川氏と共に面接してきた。石川氏は報告書に、調査に立ち会い、出生証明書も確認したなどと記載してきた。
だが戦後78年を経て記憶や記録が失われる中、石川氏は9人の報告書作成を断念した。「父母を知る親族が生きていれば、証言を基に作れたのに」と悔やむ。日系2世は平均83歳。1人は面接後に亡くなった。
田村さんが待つ山奥の民家にたどり着くのは一苦労。石川氏は雨天でぬかるむ林道に入って1時間後、公用車が進めなくなり、警察車両への乗り換えを迫られた。支援団体側は、外務省が日系人救済に汗を流し、「国家を挙げて解決しなければならない課題」との認識に至ったと評価している。 (サンイシドロ共同)
15日、フィリピン南部ミンダナオ島サンイシドロで、田村ナティビダドさん(左)と面接調査する石川義久駐ダバオ総領事(右手前)