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多民族 対立の歴史 ナゴルノカラバフ


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 アゼルバイジャン南西部のナゴルノカラバフは多民族が暮らし、古くから帰属問題がくすぶってきた。旧ソ連時代末期の1988年に人口の大多数を占めるキリスト教徒のアルメニア系住民が、隣国アルメニアへの編入を要求して対立が表面化。イスラム教徒が多いアゼルバイジャンは拒否して戦闘に発展し、断続的に衝突が続いてきた。
 アゼルバイジャンとアルメニアは1918年、ロシア帝国崩壊に伴いそれぞれ独立、その後旧ソ連の構成国になった。国境を設ける際にナゴルノカラバフの帰属を巡って両国が対立し、23年にアゼルバイジャンの自治州とすることでいったん決着した。
 両国が旧ソ連の支配下にあった88年、アルメニア系住民は隣国への編入を求めたが、ゴルバチョフ政権は拒否した。91年にアルメニア系勢力が「ナゴルノカラバフ共和国」の樹立を宣言し、アゼルバイジャンと戦闘となった。
 94年に停戦し、アルメニア側の実効支配が続いたが、2020年にアゼルバイジャンがナゴルノカラバフとその周辺地域に大規模攻撃を実施。同年にアルメニア側が実効支配地域の多くを引き渡し、ロシア仲介の停戦合意が成立したが、帰属問題は解決していない。