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不屈の意志、偉業達成 ノーベル生理学・医学賞カリコさん mRNA、医薬品活用信じ さらなる応用期待 親交ある日本人研究者ら 迅速実用化、人類に貢献


不屈の意志、偉業達成 ノーベル生理学・医学賞カリコさん mRNA、医薬品活用信じ さらなる応用期待 親交ある日本人研究者ら 迅速実用化、人類に貢献 位高啓史さん(右)とカタリン・カリコさん(中央)=2015年、ドイツ(位高さん提供)
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 ノーベル生理学・医学賞に決まった米ペンシルベニア大のカタリン・カリコ特任教授は、研究者として順風満帆なキャリアを送っていたわけではない。「メッセンジャーRNA(mRNA)は医薬品に活用できる」との確信を持ち、不屈の意志で多くの困難を乗り越え、偉業を達成した。 (3面に関連)
 1955年、ハンガリー東部の都市ソルノクで生まれた。冷戦時代の共産主義国だったハンガリーは物資に乏しく、水道もテレビもない幼年期を過ごしたという。ただ、カリコさんは「愛する家族がいて、幸せな子ども時代だった」と振り返る。
 両親の勧めや教師の影響で勉学に励み、特に生物学に関心を抱いた。「刺激的な学問だった」と話す。10代半ばの時に研究者になると決心。ハンガリーのセゲド大に進学し、RNAなどの遺伝物質を研究する分子生物学にのめり込んだ。
 転機の訪れは85年。30歳の誕生日を迎えた日、所属先で研究費を打ち切られ、研究が続けられなくなった。欧州の他の地域での研究継続を望んだが、どこも受け入れてくれなかった。
 唯一の受け入れ先となったのが米テンプル大だった。エンジニアの夫と2歳の娘と一緒にハンガリーを離れると決めた。しかし、当時は国外への通貨持ち出しが厳しく制限されていた。手持ちの財産は、自宅の車を売って得た金を闇市場で両替した900ポンドのみ。娘が持つクマの縫いぐるみ「テディベア」の中に隠し、米国へと持ち出した。「私たちのチケットは片道だけ。生きるために、新しい世界に早く適応しなければならなかった」
 89年には米ペンシルベニア大に移籍。長年の研究パートナーとなるドリュー・ワイスマン助教授(当時)と出会い、mRNAの医療応用に向けた研究を本格的に始めた。だが、mRNAは不安定で壊れやすく、生体内に入れれば激しい炎症反応を起こす扱いが難しい物質。医療に使えるという主張は、ほとんど理解されなかった。
 「助成金も全く得られなかった」とカリコさん。助教授からの降格を言い渡された。ただ、大きな心境の変化はなかったという。「たとえ降格になっても、履歴書を気にする必要はない。ただ私は科学をすることができると思うようにしていた」
 その後も基礎的な研究を積み重ねた。生体内に入れたmRNAが免疫反応を起こさないようにする操作法を発見し、論文に発表したのは2005年。ほとんど注目されなかったが、カリコさんは実用化を目指し、13年にドイツ企業のビオンテックへ活動拠点を移して研究を続けた。そして、新型コロナ流行が始まる19年を迎えることになる。
 ハンガリーを離れた当時、テディベアを抱えた娘はボート競技の米国代表に選ばれ、08年北京五輪と12年ロンドン五輪の2大会で金メダリストになった。カリコさんは「ボートも研究も、決してあきらめずに挑戦し続けることが大事だ」と語った。
カタリン・カリコ氏=1989年(本人提供)
 ノーベル生理学・医学賞に選ばれたカタリン・カリコさんと同じ分野の研究者で、10年以上前から付き合いのある位高啓史・東京医科歯科大教授(核酸医薬)は「受賞でメッセンジャーRNA(mRNA)を用いた新たなワクチンや薬の実用化が本格化する号砲が鳴った」と称賛するなど、親交のある日本人から祝福の声が相次いだ。位高教授は新型コロナウイルスワクチンがmRNAの応用のゴールだとは思っておらず、近い将来、がんなど他の病気の治療にもこの技術が使われていくと見込む。
 授賞理由とされた05年のカリコさんの論文レビューを担当した石井健・東京大教授(ワクチン学)は「研究が世に出る最初の瞬間に立ち会えて誇りに思う」とたたえる。当時は実用化は程遠く、ワクチンが現実味を増したのは10年以上たってからだったという。
 カリコさんと約30年前、米ペンシルベニア大留学時に交流があった福岡県柳川市の開業医村石昭彦さん(64)は、「くすぶっても絶対に諦めずに研究に取り組む強さがあった。本当にうれしい」と祝福した。研究分野は異なるが、他国から来た者同士、苦労や悩みを話し、夢を語り合ったという。
位高啓史さん(右)とカタリン・カリコさん(中央)=2015年、ドイツ(位高さん提供)
 遺伝物質を利用したメッセンジャーRNA(mRNA)ワクチンは、新型コロナウイルス感染症の本格的な流行開始からわずか約1年の短期間で実用化された。世界が未知のウイルスの底知れぬ脅威に直面する中、人々の命を救ったり重症化を防いだりして対策の鍵となった。人類に対する大きな貢献であり、カタリン・カリコ氏らの基盤技術はノーベル賞にふさわしい。
 新型コロナが最初に報告されたのは2019年12月。震源地は中国湖北省武漢市だった。日本では20年1月中旬に初めての感染者が確認され、瞬く間にアジアや欧米など世界中に拡大した。
 カリコ氏らの技術を基にドイツのビオンテックと米ファイザーが共同開発したmRNAワクチンの接種は20年12月、英国で開始。直後に米モデルナ製も続いた。以前から基礎的な研究を重ね、流行後に国が強力に開発を後押ししたことも功を奏した。
 臨床試験では、どちらのワクチンも発症を防ぐ効果が90%超という高い性能が示された。変異したオミクロン株に対しては効果が落ちたが、改良を繰り返し、複数の派生型に対応したワクチンが実用化している。
 英大学インペリアル・カレッジ・ロンドンのチームは、ワクチン接種によって20年12月~21年12月に世界で約2千万人の死亡を防ぐことができたと推計。mRNAワクチンを多く打てた国が特に恩恵を受けたと分析している。
 新型コロナワクチンは高所得国にいち早く普及した一方、発展途上国や難民の接種に時間がかかった。将来の新たな感染症に備え、国際的に公平かつ迅速に分配する取り組みが重要になる。