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自宅跡 埋まる思い出 アフガニスタン地震 貧村壊滅、支援物資も不足


自宅跡 埋まる思い出 アフガニスタン地震 貧村壊滅、支援物資も不足 自宅跡でがれきを撤去するモハマド・ラスールさん=10日、アフガ
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 【ヘラート共同=新里環】背丈ほどに積み上がったがれきを男性が一心に取り払っていた。「思い出が埋まっている」。2445人が死亡したアフガニスタン西部ヘラート州の7日の地震は、羊飼いや隣国イランへの出稼ぎで生計を立てる貧しい村も襲った。記者が10日訪れると、家族の遺体が見つかった自宅跡を離れられない住民がいた。
 11日も大きな揺れが続いた。イスラム主義組織タリバン暫定政権はパンや水を被災者に配っているが、冬を控え支援物資は不足している。
 州都ヘラートの北西約30キロ、約2千人が暮らすナヤブラフィ村。日干しれんがと泥でできた約660の家屋は崩壊、約800人が死亡した。男性の多くは羊飼いをするか、隣国イランへ出稼ぎに出る貧しい村だった。
 スコップを手にがれきを撤去するモハマド・ラスールさん(28)は家族9人のうち、母(47)に加え1歳と3歳の息子を亡くした。13年前から隣国イランの建設現場で働いていた。家族の不幸を知り、今月9日に故郷へ戻った。
 母とは地震直前に電話し近況を報告したばかりだった。電話を切る際「戻ってきて。寂しい」と母は泣いていた。がれきから息子の布団を見つけたが「ショックで楽しかったころを忘れそうだ」とつぶやいた。
 10人家族のアマヌラさん(22)は5歳と10歳の妹を失った。イランから9日に戻り、野宿をしながら自宅のがれき撤去を続ける。「現実を受け止められない。残された家族を養わないと」。奮い立たせるように語った。
 村ではタリバンの治安部隊が重機も使いながらがれきを撤去している。隊員は救助作業を終えたと話したが、部族長のアブドルハミドさん(55)は「まだ埋まっている人がいる」と不満そうだ。
 村の外れにあるコンクリート製の学校は倒壊を免れた。中では、暫定政権の担当者らが水やパンを仕分けしていた。国際社会の制裁を受け財政が厳しい暫定政権は各国や富裕層に支援を訴えており、村に届いた物資はヘラートの企業家から寄付されたものだ。
 警察官ニアマトゥラさん(24)によると、村では生き残った人の多くが負傷。ヘラートの病院は収容能力を超え、軍の基地でも負傷者を受け入れている。冬を前に、仮設テントや防寒具が大量に必要になるとして「今ある分では全く足りない」と打ち明けた。
 2021年8月のタリバン復権前は戦闘員として米軍への「ジハード(聖戦)」に参加していたニアマトゥラさん。「聖戦は敵がはっきりしていた。地震には憎む相手がいない」。やり場のない胸中を明かした。
自宅跡でがれきを撤去するモハマド・ラスールさん=10日、アフガ