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〈5〉 地域のオバーの思いつなげたい 宮良 妙子(石垣市白保婦人会)


〈5〉 地域のオバーの思いつなげたい 宮良 妙子(石垣市白保婦人会) ラジオ沖縄社長賞・宮良妙子
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 「ピャークヌピン」この言葉は、100歳まで食べ物に恵まれて健康で生きていけますように、という古くからの白保村の黄金言葉(くがにくとぅば)です。わが子の満産祝いの日、夫の祖母がその言葉を唱えながら娘の額に鍋のススを付ける満産の儀式をしてくれました。座床(ざとこ)には祈りの場に供えられるマガリスという海の物、山の物を取りまぜたみそニンニクのあえ物が供えられ、私はこの自然の恵みに支えられて命を慈しむ暮らしぶりに感動し、感謝を覚え、結婚して白保に暮らす幸せを感じていました。
 しかし、当時は白保の海での空港建設計画で賛成、反対の対立で地域は二分しており、伝統行事の豊年祭は分裂、成人祝いもなく、親戚同士での対立も激しく、私は、この地域はいったいどうなるのだろうと憂いていました。そしてとうとう建設調査のため機動隊が入ることになり、高台から見た光景は激しいものでした。「戦争の時、白保に飛行場があったから恐ろしい思いをしたんじゃないか、戦争が終わって食べ物がない時、この海のアーサ、魚を捕って子どもの命を守ってきたんだ。誰がここに空港を造っていいと決めたんだ」と、年配の女性たちはひるむことなく行政と機動隊の盾に向かって行きました。私はその女性たちの地域を守るのだ、命の海を守るのだという強い信念に胸を打たれました。
 その後、予定地に北半球最大規模のアオサンゴ群落が見つかり、建設予定地は変更され、地域には静けさが戻ってきました。私は長い間二分していた地域の和を取り戻すにはどうしたらいいのだろうかと案じていました。何と真っ先に動き始めたのが女性たちでした。賛成と反対のはざまで休会していた婦人会は話し合いを持ち、環境保護部を新設することで活動を再開しました。その時、私は女性たちの地域を思い、知恵を出し、前に進む姿に感銘を受けました。そして、その環境保護部長に私をという声がかかりました。当時29歳、3番目の子はまだ9カ月、私にできるだろうかと悩みました。でも、地域を盛り上げるためには若い力を必要としている、私もその一員になりたいと一念発起して引き受けることにしました。
 環境保護部は初めに海浜清掃を行い、軽トラック5台分の漂着ゴミを回収、その年のハーリー競争に出場しました。次に地域を明るくしようと国道沿いの花植えを行い、公民館役員には土起こし、老人会には草取りを、協和会には水やり、青年会には堆肥運びをお願いし、さらに小中学校にも国道沿いの花植えを協力してもらいました。
 活動を始めて8年後、沖婦連の美化コンクールで県知事賞を頂くことができ、「花植えを通じて地域が一丸となっている姿が素晴らしい」という講評を頂きました。児童生徒の代表からは「お母さんたちは頑張っているなーと思っています」と感想をもらった時、地域が二分していた頃を思い出し、涙があふれました。その時、私は女性が力を合わせれば地域を動かすことができる、子どもたちは婦人会の活動を見て、共に汗を流すことにより地域を誇りに思ってくれると学びました。今も白保の海はキラキラと輝き、国道の花は誇らしげに咲いています。
 その後、私は地域の環境保護とは何か、子どもたちの未来に何を残せるのだろうかと考えるようになり、地域のことをもっと知りたいと思い、本業の畜産の傍らWWF「しらほサンゴ村」の聞き取りの仕事に就きました。そこでは自然の恵みを活用した料理や民具、祭事、明和の大津波や人頭税、太平洋戦中の白保村での飛行場建設にまつわる話など、年配の方からたくさんの知恵や体験を聞くことができました。この地域の自然と知恵を生かした文化を残したいと地域の方々に声をかけ、白保日曜市の立ち上げに関わりました。その日曜市のメンバーはいかに白保の自然と文化が素晴らしく、どうやって残していけるかと真剣に語り合いました。日曜市に来るお客さんは商品の説明を聞き、目には見えない大切なことを知る喜びを感じていました。私は、そこには経済発展以上の豊かさがある。地域の自然を見つめ、人々が心を通わせることにより、白保村は発展すると確信しました。
 私はこれまで婦人会や地域活動を通じて女性が先頭に立つ姿、話し合う姿、地域を創り出す姿を見て、女性が行動することの大切さを知り、地域の恵みに気付きました。これからの女性たちにも女性会の活動の中で地域の歴史を知り、自然を見つめ、自分たちの歩むべき道を見つけてほしいと思います。女性がつながることで、己と地域は発展し、平和で豊かな社会が創れると思うのです。また行政にはしっかりと地域の声、女性の声を聞いて政策を進めてほしいと要望いたします。
 私は現在、白保で育ったわらで牛を育て、堆肥を土に戻す持続可能な畜産とスローフードな地域づくりに家族で取り組める幸せを感じています。そして「ピヤークヌピン」の思い、白保の歴史を伝え続け、女性が力を合わせる姿を応援してまいります。それが幾多の苦難を乗り越えて100年余り続いてきた白保婦人会の願いであり、その中で学び、育てていただいた私の役目であると信じています。