はいたい、ぐすぅよーちゅぅうがなびら わんねぇユンタンザぬ婦人会からゆしりてぃちゃーびたん、高橋加代美んでぃしやいびぃん。
わん、生まりどぅくまや、旧具志川マースヤーやいびぃん。ゆたしくうにげぇさびら。
今日ぬ、ゆかる日、まさる日にくぅぬぐぅとぅっし、ぐすーよーぬ前うてぃ、うはなしうんぬきぃるくとぅや、いっぺーうしりがふぅな事んでぃ思とぉいびぃん。やいびしがうふぉくぬ前うてぃ、うはなしうんぬきぃる事や、あんすかぁなりてぇういびらんくとぅ、いーばっぺぇや聞ちのーちうたびみせーびりようたい。あんしぇ、うちなーぐちや、くままでぃやーたい。なまから本番やいびぃん。ちちうたびみせーびりよぉたい。
15年前に、嫁ぎ先の東京から読谷村に引っ越してきました。当時は子育て、家事に仕事にと、日々の生活に追われる毎日を送っていました。そんなある日、ご近所のご婦人から「婦人会活動に参加してみない?」とお誘いがあり、地域の美化活動に参加してみました。そこで目にしたのは作業服に身を包んだご婦人方の姿でした。公民館の花壇の手入れ、周辺の清掃など、地域活動を朗らかに、和気あいあいと作業をこなしているのです。休日の貴重な時間を地域のために使っていることに尊敬の念があふれてきました。
そこには、私が都会で忘れていた、ゆいまーる、イチャリバチョーデーの沖縄の心の文化がありました。
現代の社会は都市化、核家族化、価値観の多様化などにより、他者や地域、社会の幸福と繁栄よりも個人の生活、自身の幸福を充実させる生き方へ社会が移り変わってきました。そのような自分らしく生きることは素晴らしいことだと思います。しかし自身の幸福のみを優先させるあまり、他者を顧みない利己主義に陥ってしまう危険性をはらんでいるのが、現代社会の問題点ではないでしょうか。
翻って、世界に目を向けてみると、今、世界中で起こっている戦争、紛争、核の問題、環境問題、自然災害、食料問題など、さまざまな問題の根本原因はまさに、利己主義、エゴイズムのもたらした結果だと言えるのではないでしょうか。
毎日、悲惨なニュースに胸を痛めない日はありません。どうか想像してみてほしいのです。戦場に行く兵士がもし、自分の息子だったらと考えると、恐ろしくなります。戦火の中で、栄養失調に苦しむ子どもたちがもし、わが子だったらと考えると、涙が止まりません。住む家を追われ、路頭に迷う家族がもし、自分の隣人だったらと考えると、何もしてあげられない自分の無力さに悲しみがあふれてきます。全てを失い立ち尽くす女性がもし、自分だったらと考えると、ただただ目の前の苦しみが終わることを祈らずにはいられません。
私たちはこの地球危機の時代をどのように乗り越えていくべきなのでしょうか。どうか思い起こしてほしいのです。2000年7月に開催された「九州・沖縄サミット」のあの日のことを。世界の平和と繁栄と安定の誓いを胸に、世界のリーダーたちはここ沖縄に集い合ったはずではなかったのでしょうか。そのサミットで沖縄空手が世界から注目されたのを覚えていますか。本来の沖縄伝統空手には、戦うという発想はありませんでした。「空手に先手なし」(船越義珍)「人に打たれず、人を打たず、全て事なきを良しとする」(宮城長順)との沖縄の先人たちが残した言葉には戦わずして勝つという礼儀と、節度を尊ぶ平和の魂が表れています。
困った時に助け合えるご近所さん、仕事の愚痴を聞いてくれる床屋のおじさん。悩みに寄り添い励ましてくれるご婦人方、夢に向かって背中を押してくれた仲間たち、愛情あふれる教えをくれたおばあちゃん。そんな多くの支えがあって、今日はこの場に立っています。
今、この時代にこそ、誰もがお互いを敬い慈しみ、今いる場所で、目の前の一人を大切にして、対話と友情と、平和と文化の花をらんまんと咲かせゆく万国津梁の平和の鐘を打ち鳴らしていこうではありませんか。
今日(ちゅう)や、わんはなしぃちちうたびみそーち、いっぺーにふぇーでぇびる。
(おわり)