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李克強前首相が死去 中国 突発の心臓病、3月退任 68歳


李克強前首相が死去 中国 突発の心臓病、3月退任 68歳 中国全人代の閉幕式に出席した李克強前首相 =3月、北京の人民大会堂
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 【北京共同=清水敬善】中国の李克強前首相が27日、上海市で死去した。68歳だった。共産党・政府が発表した。突発の心臓病だったとしている。3月まで2期10年にわたり首相を務めた。2013年の就任時は経済運営全般を取り仕切るとみられていたが、習近平国家主席の「1強体制」の確立に伴い、存在感が低下。自らが掲げた中国経済の構造改革を進められないまま退いた。
 発足1年となった3期目の習指導部で重要閣僚の動静不明や解任が相次ぎ、不透明感が増す中、習氏との確執が指摘された李氏の急逝に国内では驚きが広がる。死去による政治への影響はほとんどないとみられる。
 党・政府の訃告によると李氏は最近、上海で休養していたが、26日に突発の心臓病を患い「全力の救命措置」にもかかわらず、27日午前0時10分(日本時間同1時10分)に死去した。訃告は李氏が新型コロナウイルス対策や経済・社会の発展で「大きな成果を上げた」と業績を評価した。
 安徽省出身。毛沢東が発動した大規模政治運動「文化大革命」(1966~76年)で貧しい農村に送られたが、苦学して78年北京大法学部に入学。同大経済学院で経済学博士号を取得した。
 共産党のエリート青年組織、共産主義青年団(共青団)で中央書記局第1書記など要職を務め頭角を現した。河南省党委員会書記、遼寧省党委書記を歴任。共青団出身の胡錦濤前国家主席の信頼が厚く、胡氏の後継者の最有力候補とされた。
 だが2007年10月に最高指導部入りした際、序列は習氏よりも下位となった。首相就任当初打ち出した構造改革を重視する経済政策は「リコノミクス」と呼ばれたが、習氏が重要政策を共産党が取り仕切る組織改編を推進、発言力や権限は奪われた。
 新型コロナ流行後、習氏が貧困対策の成果を強調する中、李氏は「中国には月収千元(約2万円)の人が6億人いる」と発言し庶民の共感を得た。感染対策と景気回復のバランスを取るべきだと訴え、厳格な「ゼロコロナ」に固執する習氏の行き過ぎた政策に歯止めをかける役割を担ったとの評価もある。

中国全人代の閉幕式に出席した李克強前首相 =3月、北京の人民大会堂