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改革派の宰相、志半ば/習氏と一時トップ争い


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 中国共産党ナンバー2として、世界2位の経済大国の実務を担った改革派の宰相だった。就任当初、その構造改革路線は「リコノミクス」ともてはやされた。だが習近平党総書記(国家主席)が「1強」を確立し、経済運営でも実権を掌握するとともに死語に。李克強前首相は在任中から影は薄くなり経済改革は停滞、今年3月に引退した。
 北京大卒の秀才肌で、法学を学んだ上、経済学博士号も取得した。英語も堪能。学生時代には日本でホームステイした経験があり、日系企業関係者からも「気さくな人柄だ」と好感を持たれた。
 共産党エリート青年組織、共産主義青年団(共青団)出身で、共青団の先輩である胡錦濤前国家主席の信頼が厚かった。胡氏の世代に次ぐ第5世代指導者のホープとして最高指導部入りした2007年10月、党大会中の記者会見では自信にあふれていた。
 欧米メディアの記者も自ら指名して質問を受け「米CNNの記者は北京大の同窓だから」とユーモアたっぷりに学生時代のエピソードを紹介。「将来の『明星』(スター)と評されているが」との答えにくい質問も当意即妙に笑顔でさばいた。
 一時は習氏とトップの座を争った。だが12年に党総書記に就任した習氏が共青団系と距離を置くと、関係はぎこちなくなっていった。17年に習指導部2期目が始まって以降、経済戦略は習氏ブレーンの劉鶴元副首相に委ねられた。米中貿易摩擦を巡る両国間の協議でも見せ場はなかった。
 新型コロナウイルスの影響で中国経済が減速した際、挽回に奮闘する姿がメディアで目立っていた。だが実権はなく、市民からは「力強さに欠ける」と辛口の評価もつきまとった。引退を迎えた今年3月の全国人民代表大会(全人代)の閉幕式では、壇上で習氏と隣り合って座った。代表約3千人から万雷の拍手を受ける習氏とは対照的に、静かに退席した。(北京共同=芹田晋一郎)