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地元の新聞から(毎月11日に掲載します)


地元の新聞から(毎月11日に掲載します) 「災害犠牲者を減らすために研究者として努力していく」と話す新家さん
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

<熊本日日新聞提供>「奇跡の1本石垣」復活/熊本城飯田丸、積み直し完了 

 熊本地震で大きな被害を受けた熊本城の飯田丸五階櫓(やぐら)で石垣の積み直しが完了した。石垣の一部が崩落し、角石だけで櫓を支えていた被災直後の姿から、「奇跡の1本石垣」とも呼ばれていた。点検などを実施し、来年1月には覆っている足場が外され、石垣復旧が完了する見込み。
 飯田丸五階櫓は加藤家時代の創建とされ、物見や武器庫として使われていたと考えられる。1877(明治10)年の西南戦争前に旧日本陸軍によって櫓が解体され、櫓がない状態が続いていたが、2005年に築城400年を記念して約11億円かけて復元された。
 熊本地震では、前震と本震で石垣の南面と東面で計約500個が崩落した。角石の12個が柱のように残って櫓を支えていた姿が被災した県民に勇気を与え、全国から注目を集めた。
 石垣の復旧作業を支えたのは、大阪城などでの修復経験を持つ中村石材工業(大阪市)の石工たち。石垣の積み直し作業は、被災前の写真を基に、石を置いて、その裏にぐり石や土を詰めていくという作業を、一番下の段から繰り返していく。時には石を積んだ後にかみ合わず、下の段からやり直すこともあるという。さながら難解なパズルのようだ。
 同工業の石工・谷森翼さん(43)は「新しく置いた石の場所が元の位置と合っているのか、被災前の写真からだけでは分からない。1センチずれればかみ合わないことがあり、かみ合うかどうかは石を置いてみないと分からない。先を見据えて置くことはできないんです」と作業の難しさを語る。
 積み直した1653個のうち、損傷が激しかった140個は、元の石材と同じ材質の安山岩を加工して新しく作り直した。新しい石材は、重さ10トンほどの原石から型紙を基に大きめに切り出し、現場で微調整しながら造られるという。
 職人の熟練した技によって完成した石垣は、精巧な壁面画のように隙間なく詰められていて美しい。谷森さんは「城郭石垣は復元になるので元通りに戻さなければならない。自分の好きなようにできず歯がゆかった。石垣の復旧は難しく無事に終わりほっとしている」と笑みをこぼす。

<岩手日報提供>災害情報 双方向で伝達/陸前高田/AI活用、全国初

 陸前高田市は5日、自動音声で電話に応答する「オートコール」と人工知能(AI)を組み合わせた災害時の「双方向情報伝達システム」の運用を始めた。高齢者や障害者ら単独での避難が難しい市民を対象とし、避難の可否やけがなどの情報を収集して迅速な支援につなげる。防災分野での運用は全国自治体で初めて。先端技術を活用し、人々の命を守る。
 同システムは、台風や大雨などの大規模災害時に、市が事前登録した市民の電話番号に一斉発信する。避難情報が自動音声で流れ、「避難できますか」などの問いに、口頭で「はい」「いいえ」などと答えると、AIが文字に変換。災害対策本部にデータが集められる。
 警戒レベル3(高齢者等避難)以上が発令された場合に運用する予定。主な対象は「災害警戒区域に住む65歳以上の高齢者や障害者のうち、単独での避難が難しい人」「台風などの風水害で孤立する可能性のある地域住民」で、市内で計約300人を想定している。
 携帯電話と固定電話のどちらにも対応。「けが」「痛い」など、市が設定した危険ワードが回答に含まれている場合は文字が赤く表示され、救援の有無を判断できる。災害発生時に多様な対応が求められる職員の負担軽減にもつながる。

<福島民友提供>津島小・中を一般公開

 浪江町教委は4日、東京電力福島第1原発事故による住民避難の影響で閉校となった津島小と津島中の見学会を開いた。年度内に両校校舎の今後の方向性を決める段階に入っており、今回が実質上の最後の一般公開となる見通しだ。「本当に懐かしい」。訪れた卒業生らは、万感の思いを込めて校舎を巡っていた。見学会は5日も開かれる。
 「校舎に来ると昔に戻ったみたいだね」。津島小の教室内に、明るい声が響いた。卒業生の佐藤志帆美さん(40)=宮城県名取市=と菅原みずほさん(40)=福島市=は、校舎見学会があると聞き、誘い合わせて校舎を訪れていた。学校では、同級生の国分和子さん(40)=福島市=とも合流して笑顔を見せていた。
 浪江町の山間部の津島地区にあった学校は、震災時に町民の避難所となった。しかし原発事故の悪化により、迎え入れた津島の人もさらなる避難を余儀なくされた。黒板にはその時の状況を伝える張り紙が残されている。
 思い出を語り合った同級生らは、窓の外を見た。阿武隈山系の山並みが紅葉に染まっていた。「今思うとぜいたくな景色を見ていたね」「先生との距離も近くていい学校だったよね」。そして「学校がなくなると寂しいね」と声を合わせた。

 

<福島民報提供>震災経て防災研究者に

 いわき市出身の東北大災害科学国際研究所助教、新家(しんか)杏奈さん(27)は、古里に大きな被害をもたらした東日本大震災をきっかけに防災に関心を持ち、研究の道に進んだ。今月から、9月の台風13号で大雨被害を受けた市内に調査チームの一員として入り、被災者から当時の状況などを聞き取っている。災害の犠牲者を減らそうと力を尽くしている。
 9月の大雨で浸水被害が集中したいわき市内郷地区。災害発生から約2カ月が経過した地区の集会所で、新家さんは被災者の言葉に耳を傾けノートパソコンに証言を記録していく。研究者として被災した古里に入ったのは初めて。「よく知っている場所の被災状況を見たり聞いたりするのは、心苦しい」と明かす。
 震災が発生したのは中学3年の時。磐城高在学時、津波の挙動を調べるため、仲間とともに市内の海岸線約60キロを北から南まで歩いた。なじみのある沿岸部を壊滅させた未曽有の災害を「悲しいだけで終わらせたくなかった」という。
 高校卒業後、東北大に進学した。国内の津波工学の第一人者である今村文彦教授の下で、避難行動と防災教育を専門に学びを深めた。
 博士課程を修了して4月に助教になり、研究者の道を歩き始めたばかりだ。「災害の犠牲者を一人でも減らすため、研究者として努力していく」