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評伝 篠山紀信さん 時代の波 軽快に柔軟に


評伝 篠山紀信さん 時代の波 軽快に柔軟に 篠山紀信さんが撮影したジョン・レノンとオノ・ヨーコさんのアルバム「ダブル・ファンタジー」のジャケット(左)と宮沢りえさんの写真集「Santa Fe」
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 写真界の第一線で長年活躍し、4日亡くなった篠山紀信さんは、生前のインタビューで「いつも面白いと思うものだけを撮ってきた」と語っていた。時代の波を自在に乗りこなす軽快さ、柔軟さで新たな地平を切り開いてきた。
 広告制作会社から独立し、週刊誌の表紙やグラビア写真集などの肖像作品で注目を集めた。被写体は三島由紀夫やジョン・レノンら著名人にとどまらず、無名の女性も含めた「激写」シリーズで人気写真家としての地歩を固めた。
 代名詞ともいえるヌード作品を巡っては「不自由」とのせめぎ合いを経験した。1991年に出版した俳優樋口可南子さんの写真集は「アート写真として撮った」という本人の意図とは裏腹に「ヘアヌードの先駆け」と好奇の目にさらされ、2010年には、屋外のヌード撮影が公然わいせつ罪に問われた。
 言論界からは「公権力の介入」に反発する声も上がったが、篠山さんは反論せず、淡々と罰金を納めた。「路上ヌードなんて、1960年代から僕は撮ってきた。でも(罪になるかどうかは)時代の空気が決めることだから仕方がない」。ひょうひょうと取材に答え、「表現において、完全な自由なんてない」と言い切るまなざしは、常に前だけを見据えているようだった。
 ヌードのイメージが強い篠山さんだが、都市や建築など手がけてきた作品は膨大で、ジャンルも手法も驚くほど多彩だ。東日本大震災の際も約2カ月後に被災地に入り、未曽有の惨禍と向き合っている。
 津波の被災地にぼうぜんとたたずむ人を前に「かける言葉が見つからなかった」とためらいつつ、意を決して撮影の了解を取り付け「彼らの心情をしっかり受け止めるため、カメラを凝視してもらった」。後には東京電力福島第1原発の廃炉現場にも「膨大な時間の一こま」との思いで立ち会った。時代の空気に敏感なジャーナリストでもあった。
 インタビューの最後に「次に撮りたいものは何でしょう」と尋ねた時のことが忘れられない。満面の笑みとともに返ってきた答えは「分かんないね。時代に聞いて」。アーティスト然とせず、どこまでも柔らかで軽やかな振る舞いに、揺るぎない自信がにじんでいた。 (安藤涼子 共同通信記者) (23面に関連)