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兄がマラリアの犠牲に 石垣栄一さん(4) 島の戦争 <読者と刻む沖縄戦>


兄がマラリアの犠牲に 石垣栄一さん(4) 島の戦争 <読者と刻む沖縄戦> 白保住民の名を刻む平和の礎の刻銘板。祖父の石垣加銘さん、兄の石垣常男さんの名がある
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 1945年4月、白保飛行場で亡くなった祖父と大叔父の最期を調べている石垣栄一さん(76)=沖縄市=の身内に戦争犠牲者がもう一人います。2歳年上の兄、常男さんです。マラリアにかかり、生後半年で亡くなりました。

 両親は常男さんのことを話しませんでした。「自分は長男だと思い込んでいましたが、実は兄がいた。大人になり、戸籍を見て初めて兄のことを知りました」と石垣さんは語ります。

 八重山は「戦争マラリア」の悲劇で知られます。軍命によってマラリアの有病地に移動した石垣や波照間の住民が罹患(りかん)し、多大な犠牲を生みました。白保住民は45年6月上旬、日本軍に移動を命じられています。

 石垣島は地上戦はありませんでしたが激しい空襲にさらされました。そして八重山全体で3647人がマラリアで命を失いました。八重山の平和の礎刻銘者数6252人(2021年6月現在)の58%を占めます。

 平和の礎に刻まれている白保住民の戦争犠牲者は260人に上ります。石垣さんは毎年、慰霊の日に平和祈念公園を訪れ、白保住民の名前が刻まれている刻銘板の前で冥福を祈ります。

 故郷石垣島の動きが気になります。「台湾有事」が叫ばれ、自衛隊の配備が進む中、有事の際の住民保護が議論となっています。「大勢の住民が一斉に避難するのは難しい。対立は話し合いで解決しなければ」と石垣さんは語ります。
(石垣栄一さんのお話は今回で終わります。週明けに連載を再開します)