「読者と刻む沖縄戦」の記事一覧
紙面で県民、読者に募って寄せられた戦時中の体験記を紹介する。
「戦争準備」に痛む心 新里正子さん(6) 家族を失って<読者と刻む沖縄戦>
新里正子さん(84)=読谷村=は1939年5月の生まれです。この年、両親を病気で失い、自身も病で苦しみます。「アタビー(カエル)やハルエンチュウ(野ねずみ)を ...
祖父、叔母と永遠の別れ 新里正子さん(5) 家族を失って<読者と刻む沖縄戦>
新里正子さん(84)=読谷村=は叔母の清子さんの傷口に尿をかける叔父に驚き、足にかみつきます。 叔父は泣きながら「消毒薬がないので尿で消毒しているんだ。苦し ...
うじがわく傷口に尿 新里正子さん(4) 家族を失って<読者と刻む沖縄戦>
新里正子さん(84)=読谷村=の叔母の清子さんと祖父が砲撃で大けがをしました。叔父は叔母の背中をさすり「痛いか」と大泣きし、祖母も片手を失った祖父の前で嘆きま ...
砲撃で2人が大けが 新里正子さん(3) 家族を失って<読者と刻む沖縄戦>
命がけで逃げ回っていた新里正子さん(84)=読谷村=らは「ここは危ない」と引き返すことになります。糸満からやんばるに向かい、現在の宜野座村にたどり着きます。 ...
母方の家族が生き埋めに 新里正子さん(2) 家族を失って<読者と刻む沖縄戦>
糸満に向かっていた新里正子さん(84)=読谷村=の家族が摩文仁に近づく頃、雷が空を引き裂くような音と共に爆弾が降ってきました。 《糸満(いちまん)かい向かてぃ ...
日本軍頼り、糸満へ 新里正子さん(1) 家族を失って<読者と刻む沖縄戦>
読谷村都屋の新里正子さん(84)から体験記をいただきました。那覇市繁多川で生まれ、戦場をさまよいました。体験談はうちなーぐち。「私の体験を表現できるのはうちな ...
子ども眺め「これが幸せ」 喜屋武貞子さん(6)母の戦争<読者と刻む沖縄戦>
久志村(現名護市)久志の山中で米軍に捕らわれた喜屋武貞子さん(84)=那覇市=や母の稲嶺千枝さんら家族、親戚はトラックに乗せられ、宜野座の収容地区に送られまし ...
大勢の避難民に驚く 喜屋武貞子さん(5) 母の戦争<読者と刻む沖縄戦>
喜屋武貞子さん(84)=那覇市=の母、稲嶺千枝さんが久志村(現名護市)の山中で出産した後、家族や親戚は米兵に捕らわれます。 《鉄砲を持った米兵たちが現れた。 ...
山中で「オギャー」天に感謝 喜屋武貞子さん(4) 母の戦争<読者と刻む沖縄戦>
越来村(現沖縄市)を離れた喜屋武貞子さん(84)=那覇市=ときょうだい、母の稲嶺千枝さんらは久志村(現名護市)の山中に避難していました。1945年5月末、千枝 ...
栄養失調で祖父亡くなる 喜屋武貞子さん(3) 母の戦争<読者と刻む沖縄戦>
喜屋武貞子さん(84)=那覇市=は母の稲嶺千枝さん、きょうだい、親戚と共に北部を目指していました。夜、歩いている時、崖のような所から転げ落ちたこともありました ...
父は島尻の激戦地へ 喜屋武貞子さん(2) 母の戦争<読者と刻む沖縄戦>
越来村(現沖縄市)山里で暮らしていた喜屋武貞子さん(84)=那覇市=は米軍が本島に上陸した1945年4月1日ごろ、母の稲嶺千枝さんやきょうだい、祖父、親戚のお ...
戦況悪化、北部へ逃避行 喜屋武貞子さん(1) 母の戦争<読者と刻む沖縄戦>
那覇市首里久場川町にお住まいの喜屋武貞子さん(84)から、母の稲嶺千枝さんの沖縄戦体験記をいただきました。一家は越来村(現沖縄市)から久志村(現名護市)に避難し ...
那覇出身者の集落「金武湾」 山城幸子さん(8) 10・10空襲、私の体験<読者と刻む沖縄戦>
マラリアで祖父を失った山城幸子さん(88)=那覇市=は具志川村(現うるま市具志川)に終戦直後生まれた「金武湾」という集落に移ります。 金武湾は米軍の港湾業務に ...
スパイ疑われ 食料失う 山城幸子さん(5) 10・10空襲、私の体験<読者と刻む沖縄戦>
1945年3月末、豊見城村(現豊見城市)根差部を出た山城幸子さん(88)=那覇市=ら7人は宜野湾、金武を経て、4月上旬ごろ、大宜味村喜如嘉にたどり着きます。 ...
「米を焼く」日本兵に不信感 山城幸子さん(4) 10・10空襲、私の体験<読者と刻む沖縄戦>
10・10空襲に遭い、那覇市住吉町から豊見城村(現豊見城市)根差部に避難していた山城幸子さん(88)=那覇市=ら7人は1945年3月末ごろ、本島北部に向かいま ...
根差部の農家に避難 山城幸子さん(3) 10・10空襲、私の体験<読者と刻む沖縄戦>
10・10空襲で那覇市住吉を焼け出された山城幸子さん(88)=那覇市=は避難先の豊見城村(現豊見城市)根差部の農家で暮らします。一緒に避難したのは祖父やその家 ...
家族、離ればなれに 山城幸子さん(2) 10・10空襲、私の体験<読者と刻む沖縄戦>
山城幸子さん(88)=那覇市=は1935年、那覇市住吉町で生まれました。父は渡嘉敷真順さん、母はウトさん。5人きょうだいでした。 住吉町は那覇港の南岸側に位置 ...
無差別攻撃、街は火の海 山城幸子さん(1) 10・10空襲、私の体験<読者と刻む沖縄戦>
那覇市辻にお住まいの山城幸子さん(88)から「10・10空襲の体験をお話ししたい」というお電話をいただきました。当時、垣花国民学校の3年生だった山城さんは那覇市 ...
友人、いとこ、同僚、皆に愛され戦後を生きる 戦争孤児・浦添さん 連載「読者と刻む沖縄戦」に読者から情報提供
9月19日~23日に掲載した「母の戦争 読者と刻む沖縄戦」の中で、那覇市首里金城町で生まれ、戦災孤児となった浦添八重子さんの情報を呼び掛けたところ、2人の読者 ...
戦争が起きたら逃げられない 真壁政勇さん(下) 戦場の落とし物<読者と刻む沖縄戦>
激戦地に落ちていた腕輪や羅針盤、2個のメダルを保管する真壁政勇さん(80)=糸満市=は1943年10月、玉城村仲栄真(現南城市玉城中山)で生まれました。父の仙 ...
従軍記章と師範学校のメダル 真壁政勇さん(中) 戦場の落とし物<読者と刻む沖縄戦>
真壁政勇さん(79)=糸満市=の手元にある「戦場の落とし物」はほかにもあります。2枚のメダルです。 一つは円形で、表面には菊紋と桐紋、2本の旭日旗が交差して ...
腕輪と羅針盤「持ち主に返したい」 真壁政勇さん(上) 戦場の落とし物<読者と刻む沖縄戦>
糸満市真壁の真壁政勇さん(79)から「戦争中、米兵が落とした物があります。持ち主を探しています」という連絡をいただきました。 ...
兄がマラリアの犠牲に 石垣栄一さん(4) 島の戦争 <読者と刻む沖縄戦>
1945年4月、白保飛行場で亡くなった祖父と大叔父の最期を調べている石垣栄一さん(76)=沖縄市=の身内に戦争犠牲者がもう一人います。2歳年上の兄、常男さんで ...
祖父と大叔父の最期知りたい 石垣栄一さん(1) 島の戦争 <読者と刻む沖縄戦>
沖縄市にお住まいの石垣栄一さん(76)から「風化させるなかれ 陸軍白保飛行場」と題した資料が届きました。石垣さんの祖父と大叔父はこの飛行場で亡くなりました。 ...
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