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母方の家族が生き埋めに 新里正子さん(2) 家族を失って<読者と刻む沖縄戦>


母方の家族が生き埋めに 新里正子さん(2) 家族を失って<読者と刻む沖縄戦>
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 糸満に向かっていた新里正子さん(84)=読谷村=の家族が摩文仁に近づく頃、雷が空を引き裂くような音と共に爆弾が降ってきました。
 《糸満(いちまん)かい向かてぃいちゃびたしが 摩文仁かい近くなたぐとぅ 雷(かんない)が鳴いるぐとぅ ドカーン ババーン ドカーン ババーンみかち まぎ音(うとぅ)がばんない ばんない 爆弾落(う)ててぃちゃん。》
 避難先を探す人々がバタバタと倒れ、たくさんの死体が転がり、道をふさいでいました。戦場から逃げることで精いっぱい。死体を踏んで逃げても、なんとも思わなくなりました。
 《道んかい死じょーる人(ちゅ)が多(うふ)ーくなてぃ あまにんくまにん倒(とー)りてぃ道ふさじ 飛んきぃーはっきし 死じょーる人ぬ上からくんぴてぃ 歩(あ)っちょーてぃん ぬーんでぃん思(う)まーん。》
 動転してしばらく歩いていたら繁多川の知人に出会い、「母方の家族は壕の入り口に爆弾が落ちて、生き埋めになった」と教えてくれました。しかし、爆撃が激しく、助けに行くことはできませんでした。
 《爆弾から急(いす)じ逃(ひん)んぎらんねー どまんぐてぃ歩っちょーたれー 繁多川ぬ知(しっ)ちょるー はい会(あ)ちゃたぐとぅ 「いったーあんまーた家族(やーにんじゅ)や壕ぬ入り口かい爆弾が落ててぃ 出(いじ)ららんなてぃ 皆、生(い)ち埋(う)みになたんどー」
 知らさったしが 爆弾があまんくまん 落ててぃちゅーくとぅ 助(たし)きーが行(い)ちゅることんならん。》