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栄養失調で祖父亡くなる 喜屋武貞子さん(3) 母の戦争<読者と刻む沖縄戦>


栄養失調で祖父亡くなる 喜屋武貞子さん(3) 母の戦争<読者と刻む沖縄戦> 名護市の久志集落の入り口
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 喜屋武貞子さん(84)=那覇市=は母の稲嶺千枝さん、きょうだい、親戚と共に北部を目指していました。夜、歩いている時、崖のような所から転げ落ちたこともありました。
 「おなかがとってもすいていた。『もうこれ以上歩けない』といって地べたに座り込んでね。手を引っ張られて歩いたのを覚えています」
 県の中南部住民の北部疎開計画は、越来村民の疎開先は羽地村(現名護市)源河に指定しています。名護市源河区「源河誌」(2016年刊)によると地元住民は疎開者受け入れのため避難小屋を建てました。
 喜屋武さんは源河での記憶はありません。覚えているのは、東海岸にある久志村(現名護市)久志の「久志ぐゎー」と呼ばれる地域での避難生活です。
 《やっと静かな久志の山で適当な場所を見つけ、大きな木の茂みの中に木の枝や葉、衣類などを敷きつめ周りを囲った。5月の梅雨をしのぐ工夫をして皆、寄り添って過ごした。》
 飢えに苦しむ中、祖父が栄養失調で亡くなりました。
 《空腹がつらく、悲しかった。9歳の兄と12歳の姉が食料係だった。ミーウム(収穫が終わったイモ畑に自生した小さなイモ)を探したり、小川の近くでカエルや小魚、バッタを捕らえて、みんなで分け合って食べた。
 1日に数回、黒糖をなめた。黒糖は命をつなぐ宝であった。》