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祖父と大叔父の最期知りたい 石垣栄一さん(1) 島の戦争 <読者と刻む沖縄戦>


祖父と大叔父の最期知りたい 石垣栄一さん(1) 島の戦争 <読者と刻む沖縄戦> 石垣栄一さん
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 沖縄市にお住まいの石垣栄一さん(76)から「風化させるなかれ 陸軍白保飛行場」と題した資料が届きました。石垣さんの祖父と大叔父はこの飛行場で亡くなりました。
 戦後生まれの石垣さんは「悲惨な出来事があったことを忘れてはいけない」という思いで2人の最期を調べてきました。飛行場で起きた出来事を中心に白保の沖縄戦を紹介します。
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 石垣栄一さんは1947年9月、石垣市白保で生まれました。白保飛行場で亡くなったのは祖父の石垣加銘さん、大叔父の新良松さんです。2人は兄弟で、松さんは親類の養子となりました。「2人は仲良しで、いつも一緒に行動していました」と石垣さんは語ります。
 石垣さんは2人がどういう最期を遂げたのか知りませんでした。両親や周囲の人々は教えてくれませんでした。
 「私の父は全く話しませんでした。ただ、周囲から雑音が入ってくる。日本軍の犠牲になったというが、断片的な話しか聞けませんでした。心の中に葛藤を抱えていました」
 その中で手がかりはありました。石垣さんの叔父で、石垣市議を務めた石垣宗良さんの評伝本に「お父さん(加銘さん)は昭和20年4月18日白保の飛行場誘導路で、友軍の墜落事故の巻き添えとなり、52歳の若さで、弟の松さんを道連れに兄弟一同戦死された」という記述がありました。
 「祖父たちは悲惨な状況で亡くなった。これが端緒になりました」と石垣さんは話します。2007年、沖縄県警を退職した後、石垣さんは祖父と大叔父が亡くなった白保飛行場の出来事を調べ始めます。