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甲子園に舞った背番号24/阪神/亡き横田さんと日本一へ


甲子園に舞った背番号24/阪神/亡き横田さんと日本一へ (上)横田慎太郎さんの父真之さん(左)と母まなみさん=6日、鹿児島市(下)リーグ優勝を決め、亡くなった横田慎太郎さんのユニホームを手に胴上げされる阪神の岩崎優選手=9月14日、甲子園
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 甲子園球場で選手と一緒に胴上げされ、背番号「24」のユニホームが宙を舞った―。プロ野球阪神タイガースの元選手で、現役時代に「24」を背負った横田慎太郎さんが7月に28歳の若さで亡くなった。横田さんの同期入団選手らの活躍で日本シリーズ進出を決めた阪神。「息子が胴上げされているようだった」。母親のまなみさん(62)も、38年ぶりの日本一を願っている。
 横田さんは2014年に鹿児島実業高からドラフト2位で阪神に入団した。16年の開幕戦で1軍デビューを飾ったが、17年に脳腫瘍が判明。入院して治療を続け、安定した状態となる「寛解」と診断され、18年にグラウンドに戻った。
 しかし、ボールが二重に見えるなどの後遺症で、引退を決断。19年9月の引退試合では、外野手として途中出場して「奇跡のバックホーム」と呼ばれる好返球を披露、後にドラマ化もされた。
 引退後に転移が見つかった。苦しい治療に耐えながら全国の学校や病院に足を運び、闘病生活などを語った講演会は約70回を数えた。今年3月にも手術をしたが、最終的には緩和ケアを選択。神戸市のホスピスで両親と過ごし、7月18日に帰らぬ人となった。
 「ヨコ(横田さん)のユニホームをベンチにかけて、思いを一つにしたい」。9月11日に知り合いの記者を通じて、横田さんの同期入団選手らから両親に連絡があった。2人はすぐにユニホームを送った。
 優勝をかけた14日の巨人戦。4対2で阪神リードの9回、同期入団で抑え投手の岩崎優選手が甲子園のマウンドに上がると、人気デュオ「ゆず」の「栄光の架橋」が流れた。横田さんの現役時代の登場曲だった。「慎太郎、見てる?」。自宅で観戦していたまなみさんはそう思い、涙ぐんだ。
 試合中、阪神のベンチにかけられた背番号「24」。優勝を決めた直後、横田さんのユニホームを左手で握りしめた岩崎選手が宙を舞った。
 選手側からの要望で、ユニホームは28日からの日本シリーズ期間中も甲子園で保管され続けるという。父親の真之さん(60)は「阪神ファンの応援は世界一。慎太郎も日本一を願っていると思う」と思いをはせた。

(上)横田慎太郎さんの父真之さん(左)と母まなみさん=6日、鹿児島市(下)リーグ優勝を決め、亡くなった横田慎太郎さんのユニホームを手に胴上げされる阪神の岩崎優選手=9月14日、甲子園