有料

密航陳情団の歴史 後世へ 奄美復帰70年、カヌー縦断 今夏、有志らがプロジェクト


密航陳情団の歴史 後世へ 奄美復帰70年、カヌー縦断 今夏、有志らがプロジェクト 約300キロの航海を達成し、支援者らと記念撮影するプロジェクトのメンバー=7月、鹿児島市(結人プロジェクト提供)
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 日本復帰を訴えるため、命がけで本土へ渡った「密航陳情団」の足跡をたどる―。鹿児島県・奄美群島の有志が今夏、宝島(同県十島村)―鹿児島市間の約300キロをカヌーで縦断するプロジェクトに挑んだ。米軍統治下の奄美群島が日本に復帰して、12月25日で70年。メンバーは「体感した先人の苦難を、自分事として語り継ぐ」と思いを新たにしている。
 名瀬市(現奄美市)の市誌などによると、復帰前の1951年8月、連合国軍総司令部(GHQ)や関係機関に復帰を訴える陳情団として、11人が派遣された。
 米軍政下での渡航制限をかいくぐるため「密航」を余儀なくされた。数人で分かれて船で北上。九州上陸後に団員の一部が警察に連行されるなどしたが、苦労の末に東京へ着き、復帰を嘆願したという。
 発起人は「結人プロジェクト」代表の白畑瞬さん(38)=奄美市在住。復帰60年の2013年に沖縄―奄美間を単独航海し、立ち寄った島々で復帰運動を学んだ。
 陳情団に興味を持ち、当時のルートをたどりたいと思うように。証言してくれた当事者が高齢化で減る中、歴史の風化に立ち向かおうと今回のプロジェクトを企画。奄美群島やトカラ列島の島々から20~60代の男女約20人が参加した。
 7月20日、奄美大島から宝島へ船で移動。並走する高速船と21日に宝島を出発し、交代でアウトリガーカヌー(6人乗り)をこいだ。悪石島、諏訪之瀬島、口之島、口永良部島、竹島、指宿市を経て27日、鹿児島市に到着した。
 10月下旬には市民約30人を前に、プロジェクトの報告会を開催。黒潮の激しい流れで転覆したり、ゴール直前に仲たがいしたりしながらも、協力してこぎ続けた7日間を振り返った。
 「復帰運動をお祭りとしてではなく、先人たちの苦難を語り継いでほしい」。13年、復帰運動を指導した詩人の故泉芳朗の秘書で、当時存命だった楠田豊春さんと会った際、思いを託されたという。白畑さんは「全国に復帰の歴史を知ってもらえるよう、今後もカヌーを通してつながりを広げていきたい」と語った。