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日本の戦没オリンピアン 実態を解明した 曾根(そね)幹子(みきこ)さん/犠牲選手の歴史伝えたい


日本の戦没オリンピアン 実態を解明した 曾根(そね)幹子(みきこ)さん/犠牲選手の歴史伝えたい 日本の戦没オリンピアンの実態を解明した、広島市立大名誉教授の曾根幹子さん
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 五輪に出場後、戦争で犠牲になった「戦没オリンピアン」。日本での正確な実態は分かっていなかったが、10年かけて遺族を訪ね歩き、38人の詳細な状況を明らかにした。9月、世界中の戦没オリンピアンを調べるドイツの博物館に名簿を寄贈し、一区切りを付けた。「次の研究の足掛かりになれば」と願う。
 自身もモントリオール五輪(1976年)の女子走り高跳び代表で、現在はスポーツ史を研究している。2014年に広島市から被爆70年史を依頼され、「被爆した五輪選手もいたのでは」と思ったことが調べ始めるきっかけだった。
 日本オリンピック委員会(JOC)なども調べていたが、統一した定義がなく調査ごとに人数にばらつきも。ドイツの博物館にあった世界の戦没オリンピアン名簿も日本人は5人だけで、うち2人は戦死でもなかった。
 先行調査を洗い直すとともに、元五輪選手人脈も駆使し、競技団体などを通じて遺族を捜したが難航。「戦争体験を先輩たちから聞いておけば良かった」と悔やんだ。それでも、時間の壁を乗り越え38人を突き止めた。多くは20~30代で、広島で被爆後、原爆症に苦しんで亡くなった人や、抑留先のシベリアで命を落とした人もいた。
 戦争になればオリンピアンも悲惨な状況に置かれる。改めて闇の深さを目の当たりにした。「ウクライナでは今もオリンピアンが亡くなっている」。決して過去の話ではない。今後は調べた歴史を若者に伝えていくつもりだ。広島県出身、71歳。