有料

評伝 山田太一さん テレビドラマで人間追求


評伝 山田太一さん テレビドラマで人間追求 山田太一さんの作品一覧
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 11月29日死去した脚本家の山田太一さんは、万人受けが求められるテレビドラマの世界で、複雑で深い人間の物語を追求し続けた。「僕は、新しい現実みたいなものをドラマでも描けると思っています」。生前語った言葉には、ドラマの草創期から制作に携わり、多くの名作を残した人物ならではの自負があった。
 生まれは東京・浅草。下町の人々と物書きは、「王道」や「中心」に反発を覚える点で共通している―。笑いながらそう自らを分析したように、考え方や作風に対して、故郷が与えた影響を感じていた。
 食堂を営む両親の下、にぎわう繁華街で多感な少年時代を過ごすが、戦争が影を落とす。空襲の類焼を防ぐためと、国の命令で有無を言わさず家が取り壊され、9歳で疎開して神奈川・湯河原へ。母とも幼くして死に別れた。
 早稲田大では寺山修司と親交し、映画会社の松竹では助監督として木下恵介監督に師事した。折しも、娯楽の中心がテレビへと移る時期。TBSにドラマ作りを頼まれた木下監督に「かばん持ち」として同行したことから、やがて脚本を任されるようになり、30歳でフリーになった。
 「藍より青く」「男たちの旅路」と、1970年代に話題作を次々と発表する。母親の不倫、父子のあつれきなど、中流家庭が崩壊する姿を通して戦後の矛盾を浮き彫りにした「岸辺のアルバム」は、代表作の一つとなった。
 「岸辺のアルバム」の放送時、ドラマ界ではハッピー路線が主流だったという。「暗くて陰気。嫌われるに決まっている」と恐る恐る発表した作品が、ホームドラマの金字塔に。「分からないものですね」と面白そうに当時を振り返った。
 青春ドラマの傑作「ふぞろいの林檎(りんご)たち」では、落ちこぼれの大学生をメインの登場人物にした。執筆前の取材で、一流校よりも「三流四流」校の学生にずっと人間味を感じたためだ。
 ドラマでは主人公たちが抱える劣等感や、友人を裏切ることへの葛藤、エリートが持つ弱さを描いた。負の感情も含めて、人間には「本当にいろんな側面」がある。その多様さを描き出すことを、常に考えていた。
 2009年の「ありふれた奇跡」が最後の連続ドラマで、以降は単発ドラマを書き続けた。東日本大震災の被災者にも思いを寄せ、渡辺謙さん主演「五年目のひとり」で、家族を津波で失った男性の再生を描いた。
 静かで穏やかなドラマの雰囲気と同様に、柔らかな物腰で人に接した。16年のインタビューでは、2時間にわたり半生や作品を語った後「まとめるのが大変だね」と優しく笑った。一方、ふと見せる陰影が様になる人でもあった。晩秋の日に旅立ったことが、山田さんらしく感じられる。  (川元康彦 共同通信記者) (23面に関連)