有料

憧れの舞台、親子で 大阪出身矢田さん 津覇青年会で出演


憧れの舞台、親子で 大阪出身矢田さん 津覇青年会で出演 中城村津覇青年会の仲間に迎え入れられ、憧れの「全島」で太鼓をたたく矢田純一さん(前列左) =10日、沖縄市のコザ運動公園陸上競技場
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 エイサーがしたくてたまらなかった―。大阪府出身で、宜野湾市に住む会社員の矢田純一さん(38)。20代のころから沖縄が好きで年に1~2度は来県し、全島エイサーまつりを見に来たことも。そこで見た光景は圧巻だった。エイサーへの憧れを胸に抱き続け、10日の沖縄全島エイサーまつりでは、中城村津覇青年会の一員として思い切り太鼓をたたいた。

 矢田さんが沖縄に移り住んだのは15年前。以来、さまざまな青年会の道じゅねーを見て回った。「突撃」で加入を懇願したこともあったが、30代後半でもあり「青年ではないからね」と言われ続け、加入先は見付からなかった。そんな時、仕事関係のつてで受け入れてくれたのが60年の歴史を持つ津覇青年会。今年5月から締め太鼓として活動を始めた。

父の純一さんと一緒に、小さな体で見事な大太鼓をたたいて観客を沸かせた矢田光希ちゃん

 一緒にエイサーを始めたのは3歳の息子光希ちゃん。小さな体で振り付けを見事に覚え、大太鼓をたたく姿はYouTubeで15万回再生されるほど「バズった」。

 津覇青年会の全島エイサー出演が決まり、矢田さんは「あの全島に自分が出ることになるとは」と大興奮だった。本番は真剣な表情で締め太鼓をたたいたが、うれしさからか、時折隠しきれない笑顔ものぞかせた。

 「唐船どーいが大好き」と話す光希ちゃんも、隊列の先頭で見事な舞を見せ、大きな拍手を受けた。

 移住した当初は「ナイチャーの自分が伝統エイサーをしていいのか」と一人悩んでいたという矢田さん。意を決して飛び込んだ今、「受け入れてくれ、親身に教えてくれた津覇青年会に感謝している」と思いを語った。

(島袋良太)