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ありがとう、こども病院 「心臓病の子どもを守る会」沖縄支部50年 行政を動かした声の力


ありがとう、こども病院 「心臓病の子どもを守る会」沖縄支部50年 行政を動かした声の力 心臓手術後に成長した子どもらと支部設立50周年を祝う医師や家族ら=22日、沖縄市のREF沖縄アリーナbyベッセルホテルズ
この記事を書いた人 Avatar photo 嘉陽 拓也

 全国心臓病の子どもを守る会沖縄県支部(宮里敏夫支部長)は22日、設立50周年を祝う式典を沖縄市内のホテルで開いた。戦後、心臓病の子が県内で手術を受けられない医療格差を改善するため、20万人余の署名を集めて県立南部医療センター・こども医療センター(南風原町)の開設に至った経緯を振り返り、小児医療の発展へ気持ちを新たにした。

 同支部は、心臓病で子どもを亡くした田頭妙子さん(85)が1973年8月、医療の発展を願って当事者の連携を呼びかけた新聞投稿をきっかけに結成された。

 それから約半世紀。行政への要請や先進地視察などを続けた結果、2006年にこども医療センター設立につながり、心臓病児の命が救われている。田頭さんは「一人一人の声が大きな力となり、より良い医療がつくられた」と柔和な笑顔を見せた。

 式典では、結成時に同支部に寄り添った知念正雄医師のほか、小児医療に心を砕いてきたこども医療センターの医師や支援団体に感謝状が手渡された。医師らは、同支部の運動により全国指折りの高度医療が可能になった同センターの維持、発展を誓った。

 心臓手術を経験した新垣一光さん(7)や長嶺亜子さん(12)は医師に感謝し「自分も将来、誰かを助けたい」などとあいさつ。健やかに成長しているその姿に参加者から温かい拍手が送られた。同支部では同センター開設までの経緯をまとめた小冊子「ありがとう こども病院」を発刊しており、今後、関係機関に配布するという。 

(嘉陽拓也)

移行期医療の充実を 宮里敏夫支部長

心臓病の子を救うため「多くの方々が尽力してくれた」と語る宮里敏夫支部長

 復帰前後、県内には子どもの心臓病の専門医がいないため、診断もつかずにたらい回しになることがあり、ユタまで頼る状態だった。
 県外で手術するにも多額の渡航費がかかる。手術には新鮮な血液を確保する必要があり、県外では県出身者や学生寮に協力を依頼し、病院で待機してもらう状態だった。
 1973年に支部を結成した当時はわらにもすがる思いの家族が多くいた。私たちは第三者に頼るのではなく、勉強会や医療者と講演会、県外視察を重ねて成長していった。その間にわが子を亡くした人もいる。こうしたさまざまな思いを行政や多くの方々が自分事として共感していたのだろう。
 2006年、20万人余の署名を集めて県立南部医療センター・こども医療センターの開院にこぎ着けたが、市民運動による病院開設は全国でもまれ。そういう意味で同センターを「奇跡のこども病院」と呼んでいる。
 今後は、心臓病手術を受けて成長した大人の体調変化に対応する、移行期医療の整備が鍵となる。小児から大人まで、切れ目のない心臓病医療の実現へ目指したい。 (談)