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「帰るなら胸を張って」 宜野湾神山郷友会・佐喜眞会長 県内移設、名護の人々に負い目


「帰るなら胸を張って」 宜野湾神山郷友会・佐喜眞会長 県内移設、名護の人々に負い目 字神山郷友会の佐喜眞政範会長=28日、宜野湾市神山
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 【宜野湾】米軍普天間飛行場の施設内に集落の主要な部分を奪われた市神山の人々は郷友会を作り、故郷へ戻るのを心待ちにしている。一方で名護市民に同じような基地被害を味わわせることに苦しむ人もいる。同会会長の佐喜眞政範さん(73)は「辺野古に基地を移してしまっては、後ろめたさでふるさとの土すら踏めないだろう」と語る。「故郷を奪われた」自分たちが、他人を犠牲に故郷に戻ることに負い目を感じている。
 字神山郷友会は1969年に設立した。故郷の伝統文化を継承し、いずれ帰る「その日」のために準備することが目的だった。95年の米兵による少女乱暴事件をきっかけに、日米両政府によるSACO合意が発表された時、米軍基地絡みの被害から解放され、帰郷も現実味を帯びたと会員らは歓喜に包まれたという。
 戦後生まれの佐喜眞さんは「先輩方の喜ぶ姿がうれしかった」と当時を振り返る。先輩方の郷愁の深さに触れ、神山の人間であることに誇りを感じた。郷友会には現在約200人が加入しているが、高齢化が進み戦前の神山を知る人は片手で数えるほどになった。
 普天間飛行場の返還は県内移設が条件とされていることに不満を抱く。「正直言って反対だ。危険性の除去と言っても、名護の人々が同じように被害を受けるはずだ」とおもんぱかる。
 「ふるさとに戻れるまでのめどが見えてきたのはうれしい。その半面、素直には喜べない」。心境は複雑だ。
 代執行で県と国の対立は溝を深めることとなった。それでも「政府は県民の言葉に耳を傾けてほしい」と訴える。胸を張って故郷に帰るその日を夢見て。 (名嘉一心)