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「まさか」悲しみ深く 能登半島地震 がれきから思い出の時計 自宅倒壊 娘ら3人犠牲


「まさか」悲しみ深く 能登半島地震 がれきから思い出の時計 自宅倒壊 娘ら3人犠牲 亡くなった娘2人から還暦祝いでもらった腕時計を見つめる神崎浩二さん。倒壊した自宅から見つけ出した=4日、石川県輪島市
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 がれきの中で見つけた家族との思い出の品に、悲しみを深くした。5日、能登半島地震の発生から5日目となった石川県。死者94人、安否不明者は200人に上り、状況が把握できない孤立集落はなお残る。通報を繰り返しても来ない救助に「これが現実」と諦めも。支援は徐々に本格化。物資が到着した避難所では安堵(あんど)が広がった。(1面に関連)
 「これや、見つかったぞ」。石川県輪島市の1階がつぶれた住宅の中で大きな声が響いた。大工神崎浩二さん(70)が4日、黒の腕時計を何時間もかけて見つけ出した。10年前に娘2人から還暦祝いでもらい大切にしてきた宝物が、形見になった。地震で家が倒壊し、娘2人と義母を失った。「まさかこんなことになるとは」。目頭を強く押さえた。
 東京に住む次女麻衣子さん(40)が十数年ぶりに年末年始を実家で過ごすことになり、金沢市に住む長女希美さん(43)や、妻の智子さん(66)ら家族がそろった正月だった。
 元日、姉妹は1階居間のこたつで共通の趣味だったプロ野球のDVDを見てくつろいでいた。午後4時過ぎに強い揺れを感じ、2階にいた神崎さんは「地震やぞ」と叫び、居間に下りた。台所で夕飯の準備をしていた智子さんも集まったところで、再び大きな揺れが。木造2階建ての家が一気に崩れ落ちた。
 身動きが取れない中、智子さんは横にいた麻衣子さんに「大丈夫?」と声をかけた。梁(はり)の下敷きになり過呼吸で顔が火照っていた。「しっかりして、返事してよ」。握った手が次第に冷たくなった。希美さんは、いくら名前を呼んでも反応はなかった。家にいた智子さんの母美智子さんの姿も見当たらなかった。
 神崎さん夫妻は命からがら脱出できたが、津波から避難するために離れざるを得なかった。翌朝、近隣住民が崩れた家の中から姉妹を出してくれた。安否が分からなかった美智子さんも4日午前、遺体で見つかり、悲しみに追い打ちをかけた。
 神崎さんが「これだけはどうしても見つけたい」とがれきをかき分け、無我夢中で探し出した腕時計。旅行など特別な時にしかつけず、普段はケースに入れて2階の自室で大切に飾っていた。
 「お父さん、本当に良かったね」。智子さんは腕時計をいとおしそうに抱え、涙をこらえた。神崎さんは声を絞り出した。「形見やと思って、一生大事にせんと」