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<上原正吉さんを悼む>小浜司(島唄解説人) 心揺さぶる、魂の響き


<上原正吉さんを悼む>小浜司(島唄解説人) 心揺さぶる、魂の響き 愛しい人への強い思いをつづった人気曲「思やー小」を歌う上原正吉さん=3日、那覇文化芸術劇場なはーと大劇場(撮影・桑村ヒロシ 提供・那覇市)
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 上原正吉さんの訃報を聞いた時、こんな事って実際にあるのかと驚いた。ショックだった。そのわずか二日前に、私は上原正吉さんと知名定男さんと交えて那覇文化芸術劇場なはーと(以下「なはーと」)の大劇場の舞台にて語り、上原さんの代表曲の一つ「思やー小」を聴いたばかりであった。確かに健康面では芳しくなく、出演依頼を受けた時も家族は無理だろうと思ったという。しかし本人が「出る」と強く主張し、周りの手厚いサポートを保ちながら実現したステージだった。

 舞台上での上原正吉さんは終始ニコニコと笑顔を絶やさず、独特のシャイで伏目がちに、それでも甘えるように高音から繰り出す歌声には優しくも鬼気迫るものがあった。満員の観客の視線をくぎ付けにし、拍手喝采は大劇場を包み込んだ。

 そして退場する姿に「なだぐるぐるー(涙があふれそう)」になったのは私だけではなかっただろう。控室では、久しぶりに会う歌手達との記念撮影に応じ、たくさんの人達と握手を交わしていた。県外からもたくさんのファンが駆け付け、久しぶりに会えたと本人も喜んでいた。

 素朴で温厚な性格に加え、その含羞(がんしゅう)は民謡界にあっては稀有(けう)な存在で、誰からも慕われていた。妻・恵美子さんと二人三脚で営んだ民謡クラブ「ナークニー」は県内外からの情報交換の場としてにぎわった。残念がる声も多数ある中、約50年続いた民謡クラブも2019年に店を閉じた。

 上原正吉、1941年今帰仁村謝名に生まれる。幼年時代に父、母と家族を失い、家を台風に吹き飛ばされて、中学を卒業すると同時に那覇へ出た。前川朝昭(1912~90)師の門をたたき一心不乱に民謡の道に打ち込み、メキメキと頭角をあらわしていった。デビュー曲「下宮古根」をはじめ「思やー小」「瓦屋情話」「あかばんたー」などのヒット曲多数。今月3日に開催された「ドーナツ盤からの唄声」(なはーと)での歌声はファンの心を揺さぶる、まさに魂の響きであった。今でも私の耳元から離れない。正吉さんには、ただただありがとうと言いたい。合掌!

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 上原正吉さんは5日死去。82歳。