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「平和な島であってほしい」 座間味 「集団自決」犠牲者に祈り


「平和な島であってほしい」 座間味 「集団自決」犠牲者に祈り 沖縄戦の犠牲者をしのび平和之塔に手を合わせる村民ら=26日午前10時6分、座間味村
この記事を書いた人 Avatar photo 岩切 美穂

 【座間味】沖縄戦当時に座間味村内で「集団自決」(強制集団死)が起きて79年となった26日、同村では村民や遺族らが慰霊塔・平和之塔を訪れ、小雨の中、戦争の犠牲になった家族や友人に思いをはせ手を合わせた。村は5年ごとに公式な慰霊祭を開催しており、今年は各自で追悼した。

 1945年3月26日、米軍が座間味村の島々に上陸し、沖縄戦の地上戦が始まった。米軍の砲撃と日本軍の強制や誘導によって、座間味島と慶留間島の住民約290人は「集団自決」に追い込まれた。平和之塔は「集団自決」の犠牲者を含む村民647人と、日本軍人376人、朝鮮人軍夫や教員ら177人を追悼するために建立された。

 「怖さや悔しさ、痛さ、生きたいとの願いが渦巻く中、自分で死を決断しなきゃいけない。なんと過酷な状況か」。宿泊業を営む宮平賢さん(65)=村座間味=は、畑で農薬を飲み亡くなった父方の祖父の弘文さん、祖母のウタさんの心情に思いをはせた。

「集団自決」(強制集団死)の犠牲になった祖父母らの名を刻銘碑で指し示す宮平賢さん=26日、座間味村の平和之塔

 「幼い頃、近所のおばあさんは首にカミソリで切った『集団自決』の傷痕があり、話すとヒューヒュー音が鳴った。身近過ぎて当たり前の感覚だった」と振り返る。60歳を過ぎ、平和ガイド講座を受講する中で、祖父母の体験を自分事として考えるようになった。

 「島は移住者や観光客が増えにぎわっているが、それだけが座間味ではない。毎年3月26日に村が平和のメッセージを発信することによって、沖縄戦を含む島の歴史を移住者らに伝えられるのでは」と語り、公式な慰霊祭の毎年開催を望んだ。

 家族と訪れた座間味中2年の仲村伊織さん(14)は、学校で学んだ集団自決について「どれほど苦しくつらかっただろうと思う。家族や友達といった大切な存在を失う戦争は恐ろしい」と語り、島の将来について「争いなく落ち着いて暮らせる、平和な島であってほしい」と願った。

(岩切美穂)