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101歳が伝える沖縄戦 北中城の喜屋武さん 離別振り返る


101歳が伝える沖縄戦 北中城の喜屋武さん 離別振り返る 沖縄戦体験を振り返る喜屋武初子さん(右)と長男の馨さん(左)、馨さんの妻のすま子さん=28日、北中城村の島袋公民館
この記事を書いた人 Avatar photo 石井 恭子

 【北中城】北中城村の島袋公民館で開催された第3回原爆と戦争展(島袋自治会、沖縄原爆展を成功させる会共催)で沖縄戦体験者のお話会が28日に開かれ、101歳の喜屋武初子さんが語った。4年前に99歳で亡くなった語り部、安里要江さんの妹で、聴衆を前に沖縄戦を語るのは初めて。強いられた飢えや離別を振り返り、「人間というのはこういうことじゃいけない。この状況をみんなに伝えなさいと残ってるはずだから。子や孫に少しでも伝えておきたい」と語った。

 初子さんは1923年、北中城村喜舎場生まれ。女子工芸学校を出て結婚。大宜味村の喜如嘉国民学校に夫が赴任し、区長の家に間借りした。

 沖縄戦が始まると2歳の長男と生後間もない長女を連れ、召集先から戻っていた夫と山奥のタンガマ(墓の形をした炭焼き小屋)に避難する。食べ物はチーパッパー(ツワブキ)やイモのつる。「長男は『ごはん』と聞くと嫌で泣きよった。これではだめだと思った。親だから考えなければと」。その後、宜野座の福山収容所に入ってからも食糧不足に苦しんだ。

 母カメさんは南部で砲弾を受け亡くなった。「おっかあがいる所に爆弾を落としたんだね。脚を切られて、絹織物をあてがって埋めたと聞きました」。その後、その絹が目印となって遺骨が見つかったという。「(戦争は)憎らしい。どうしてもしないといけないのかね」

 会場には約55人が訪れた。島袋小5年の喜屋武拓(ひろむ)さん(10)は「自分だったら戦争が始まったらすぐ諦めそうだけど、必死に逃げ切ってすごい」と語った。

(石井恭子)