有料

逃げる途中ではぐれた母と弟…「礎」は唯一“会える”場所 残留孤児を経験した伊波さん 沖縄


逃げる途中ではぐれた母と弟…「礎」は唯一“会える”場所 残留孤児を経験した伊波さん 沖縄 母と弟の名前を示す伊波盛吉さん(左)と妻の亜希子さん=23日、糸満市摩文仁の平和の礎
この記事を書いた人 Avatar photo 中村 優希

 宜野湾市から訪れた伊波盛吉さん(83)は、母の伊波ヨシさん、弟の弘満さん、盛一さんの名前が刻まれた礎を見つめていた。旧満州(現中国東北部)出身で戦争を体験し、家族とはぐれて残留孤児となった。

 1941年に沖縄で生まれ、約半年後に家族で旧満州に移民、日本人が多くいた現在の黒竜江省ハルビン市で生活していた。

 45年8月9日の旧ソ連による侵攻で、旧満州は混乱に陥った。父はシベリアに連れていかれ、家族は離れ離れになった。当時4歳の盛吉さんの記憶は定かではないが、母と弟と逃げている途中に盛吉さんだけはぐれ、それっきり再会できなかった。残留孤児となり中国人家庭を転々とし、養父母に育てられた。

 シベリアから先に沖縄に戻っていた父が、盛吉さんが残留孤児となっていることを知り、沖縄に呼び戻した。すでに中国で亜希子さん(78)と結婚して、4人の子どもに恵まれていた盛吉さんは家族で82年、沖縄に引き揚げた。

 盛吉さんは「母と弟の顔を覚えていないので、ここに来て名前を見るしかない」と話し、手を合わせた。

  (中村優希)