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社会構造変える責任 条約上の「相当な注意義務」<米兵の性犯罪隠蔽 国際人権条約にみる政府の責任>阿部藹


社会構造変える責任 条約上の「相当な注意義務」<米兵の性犯罪隠蔽 国際人権条約にみる政府の責任>阿部藹 記者会見で米兵暴行事件について述べる上川陽子外相=6月28日、外務省
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 昨年12月に起きた米兵による16歳未満の少女に対する誘拐・暴行事件を日本政府が認識していたにもかかわらず、起訴から3カ月経って報道で表面化するまで沖縄県に伝えていなかったことが明らかになった。一義的には日本政府が「沖縄県」という行政機関にこの重大な情報を知らせなかったということだが、本質的には、米軍基地と隣り合わせの生活という重い負担を強いている沖縄県の人びとにとって身の安全に関わる情報を伝えなかった、ということだ。これは、日本政府が犯した大きな裏切りであるとともに、国際人権法に基づき有している責任にも違反している。

女性差別撤廃

 日本が批准している女性差別撤廃条約の委員会は、1992年に採択した一般的勧告で、ジェンダーに基づく暴力は女性差別、人権侵害であるとした。そして個人、団体、企業による差別から女性を保護するために、政府には「相当な注意義務(=due diligence obligation)」があり、暴力行為を予防し、調査し、刑罰を科し、被害者に賠償を与える責任がある、という原則を確認した(注1)。

 つまり、一つ一つのジェンダーに基づく暴力の責任は第一義的には加害者にあるとはいえ、条約を批准している日本政府にはこのような暴力行為を予防するなどの責任があるということだ。

 これを沖縄に当てはめると何が言えるのか? 沖縄では1945年の米軍上陸以降、多くの女児・女性が米軍関係者による性的暴力の被害に遭ってきた。返還前の米統治時代も米軍関係者による事件は後を絶たず、1955年にはわずか6歳の幼稚園児が嘉手納基地所属の米兵によって暴行・殺害されるという痛ましい「由美子ちゃん事件」があった。

 「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」が去年発行した「沖縄・米兵による女性への性犯罪(1945年4月~2021年12月)第13版」は69ページにもわたって性犯罪の記録が綴られている。しかも、編集に携わってきた高里鈴代氏によれば、収められた記録は「氷山の一角」であり、警察に届けられていない事件、記録にすら残っていない事件が数多くあるという。

 ここで強調したいのは、日本政府によって沖縄に米軍基地が置かれ続けていることで、米軍関係者による沖縄の女性たちに対するジェンダーに基づく暴力が継続・蔓延(まんえん)しており、そしてその状況が改善されていない、ということだ。すなわち、日本政府は米軍関係者によるジェンダーに基づく暴力を予防する相当な注意義務を怠っている、という構図が浮き彫りになってくる。

「賠償」

 では、「相当な注意義務」を果たしていないとき、政府はどのような責任を負うことになるのか。その点では、ジェンダーに基づく暴力に関し、政府の責任と賠償のあり方のスタンダードを作ったと言われる「コットンフィールドケース」という判決が参考になる。

 2001年11月6日、アメリカ・テキサス州との国境近くにあるメキシコの「シウダー・フアレス」という都市の綿花畑(コットンフィールド)で、行方不明となっていた15歳の少女と、17歳、20歳の2人の女性が遺体となって発見された。そして同じ場所から他に5人の女性の遺体が発見された。どの遺体も激しい暴力を受け、強姦された跡があった。

 当時、シウダー・フアレスでは女性に対する性暴力、誘拐、殺害が蔓延していた。1993年から2003年の間だけで、少なくとも263人の15歳から25歳までの女児・女性が強姦、殺害され、行方不明者(強制失踪者)は400人を超えていたとも言われている。

 そして、綿花畑で遺体が発見された3人の遺族が米州人権委員会(北中南米地域加盟国の人権の遵守・擁護を目的とする協議機関)に訴え、その後、米州人権裁判所によって2009年に画期的な判決が出た。

 判決は、蔓延する女性に対する暴力の根元には女性差別があると指摘し、その上でメキシコ政府が女性に対する暴力を防止し、調査し、加害者を刑罰に処する「相当の注意義務」を怠ったとしてメキシコ政府に対して被害者に対する「reparation」を命じた。reparationは日本語では「賠償」と訳されるが、公式な謝罪や原状回復、金銭賠償などが含まれるより広い概念だ。

 「コットンフィールドケース」では、公式な謝罪や金銭賠償はもちろんのこと、殺人事件の捜査の実施要項の作成や、ジェンダーに基づく暴力に関する教育プログラムの実施など、実際に「社会を変容するための矯正措置」を命じた。これらは女性に対する暴力が蔓延し、女性差別に基づく構造的な問題が背景にある時、一人一人の加害者を刑に処するだけではその状態は改善されないため、社会の構造を変える責任が国家にある、という考え方に基づいている。

 沖縄ではどうだろうか?2016年にうるま市でウオーキングをしていた女性が米軍属に暴行・殺害された事件では、加害者は無期懲役の判決を受け既に服役している。昨年12月の事件や、新たに明らかになった今年5月の事件についても容疑者は起訴されており、一つ一つの事件については司法による裁きが確保されている。

 しかし、日本政府が沖縄におけるジェンダーに基づく暴力を減らす「社会の変容」を伴うような対策を取ることはなく、被害者に対する公式な謝罪もない。それどころか、事件が発生していることを県民に伝えず、実態を把握し再発防止策を講じる機会さえ奪ってさらなる危険にさらしているのだ。

 日本政府や米軍の対応に誠意が欠ける状況が続く中、国際人権条約などを踏まえて責任を果たすよう求めるような交渉も、沖縄県にとって今後の手段になると考える。

 (注1)林陽子「女性差別撤廃委員会における『女性に対する暴力(VAW)』への取組み」(2015)

 (あべ・あい、琉球大学客員研究員)