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石積み護岸、市文化財に 奄美市 米軍占領時下、公共工事跡


石積み護岸、市文化財に 奄美市 米軍占領時下、公共工事跡 鹿児島県奄美市住用町の石積み護岸。市の文化財に指定された(市立奄美博物館提供)
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 鹿児島県奄美市は、米軍占領時代に着工し、日本復帰後に完成した住(すみ)用(よう)町(ちょう)の青(あお)久(く)集落にある石積み護岸を5月に市の文化財に指定した。市立奄美博物館によると、米軍占領時代の公共事業による構築物はほぼ現存していない。同館の喜友名正弥学芸員は「史料的価値がある」と評価し、看板設置やパンフレットの作成を計画している。
 集落を囲むよう設置された護岸は総延長278メートル、高さ2・5~2・8メートル。一角には琉球政府に建設を申し出た浜崎要範村長の功績をたたえた石碑が立つ。
 旧住用村の村史などによると、長年悩まされた高潮から集落を守るため、住民らが建設を直訴したのが始まり。琉球政府が1950年に直轄事業として建て始め、55年に完成した。青久集落と隣の市(いち)集落の住民を中心に延べ8180人が参加した。
 青久集落は戦後70人余りが生活していたが、現在は森キミ子さん(93)1人だけ。長男森山重敏さん(70)は、児童・生徒用の副読本「郷土の先人に学ぶ」に「立派に姿を残す防波壁の玉石一つ一つに郷土の先人の力が込められている」と記した。
 森山さんは「護岸のおかげで農作物もよくできた。指定が地域活性化につながってほしい」と期待している。