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広島原爆79年「繰り返さない責任ある」 被爆証言、次世代が語る<継承のかたち>上


広島原爆79年「繰り返さない責任ある」 被爆証言、次世代が語る<継承のかたち>上 「忘れたくても忘れられない」と語る被爆体験者の河野さん(右)と河野さんの体験を伝承する忍岡さん =7月29日、広島県広島市
この記事を書いた人 Avatar photo 新垣 若菜

 79年前の8月6日、米軍機が投下した原子爆弾が広島の街を破壊した。凄惨(せいさん)な体験にいまだ口を閉ざす人も少なくない中、語り部も減り続け次世代への継承に困難さが増す。広島市は2012年に証言を受け継ぐ「被爆体験伝承者等養成事業」を開始。研修を重ね、学校に伝承者を講師として派遣するなど体系的な継承に力を入れる。元教諭で退職後に碑巡りガイドを務める忍岡(おしおか)妙子さん(75)=広島市=もその1人。「知ったら伝え、それを繰り返さない責任がある」と語る。現在226人の伝承者が体験者の記憶、思いを継ぐ。

 忍岡さんが伝承の証言者に選んだのは、女学校2年時に「入市被爆」をした河野キヨ美さん(93)。原爆落下の翌日に、病院で働く姉を探しに市に入った。木材のように積み上がった遺体、ぼろ布のように皮膚が溶けた人たち、あちらこちらから聞こえるうめき声―。姉は逃げ終えて無事だったが、河野さん自身はしばらくして全身に湿疹ができた。当時は原因が分からなかったが、放射能のせいだったのかと考える。自身の体験を絵にし、証言を続けている。

 「戦争は人間の力で止めることができる」という河野さんの言葉で、伝承を決めたという忍岡さん。「ヒバクシャ国際署名」など核兵器廃絶への取り組みにも力を入れる。時折、「日本も原爆を持った方がいい」と言う声も耳にする。どれほどの被害があり、その苦しさを今も抱える人がいることを「もっと伝えていかねば」と強調する。

 広島市の国際平和センターによると、被爆証言者の委嘱人数は2024年が32人で平均年齢は86・5歳。対して、伝承者は委嘱開始の15年の50人から約4倍にも増加。平均年齢は64・3歳。話法技術の習得など2年間の実習を重ねる。伝承者による資料館での定時講話は23年度で1324回、市内外への派遣講話も400回以上に及ぶ。

「(伝承者は)本当にありがたい存在。感謝しています。個人の力は弱いけど、それが広がって伝わっていけば大きな力になるでしょ」と河野さんがそう語ると、そばで話を聞いていた忍岡さんは力強くうなずいた。 

(新垣若菜)

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 広島に原爆が投下され6日で79年。証言者が減る中、被爆の実相や証言者の声を伝える伝承者の育成など、体系的な取り組みを進める広島市から「継承のかたち」を学び考える。

【用語】入市被爆

 原爆落下後、肉親や同僚などを捜して、また救護活動のため被爆後に爆心地の2キロ以内に入り、残留していた放射線の被害を受けた人たち。直接被爆者と同じように発病したり、死亡したりする人もいた。外傷がなくても、脱毛や出血症状、白血球の減少といった症状が後に現れ、多くの人が死亡した。原爆による死亡者の人数は現在も正確には分かっていないが、放射線による急性障害が一応おさまった1945年末までに14万人が亡くなったと推計されている。