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「若い世代育てた」 吉浜忍さん死去、沖縄戦研究者、教育界からも惜しむ声


「若い世代育てた」 吉浜忍さん死去、沖縄戦研究者、教育界からも惜しむ声 吉浜忍さん(後列左から3人目)は数多くの市町村史を編さんし、若手を育てた。写真は編集委員長を務めた中城村史の発刊を浜田京介村長(同2人目)に報告した時の様子。地域史の学校現場などでの活用も望んでいた=2022年4月、中城村役場
この記事を書いた人 Avatar photo 中村 万里子

 沖縄戦の記憶を風化させてはならないと、戦争遺跡の保存や地域史の戦争編の発刊に尽力した吉浜忍さん。後進を育てた沖縄戦の研究者であり、教育者であった吉浜さんの訃報を受けて23日、関係者からは惜しむ声が聞かれた。

 原点は南風原高校の教員時代の沖縄戦戦災実態調査。生徒が地元の高齢者から戦争体験を聴き取る手法を考案し、継承・平和教育の指針となった。町に残る沖縄陸軍病院南風原壕の保存・公開に尽力し、壕に入って沖縄戦を追体験する「壕の教育力」を定着させた。

 情熱は衰えず、先月14日のシンポジウムでは、地域が一体となり沖縄戦の継承に一層取り組む必要を提言した。元南風原文化センター館長の大城和喜さん(75)は「彼がいなければ今の南風原はない。研究を自分だけのものにせず地域に返し、若い世代を育てた」と語る。

 沖縄戦研究の裾野を広げたいとの思いで後進育成に力を注いだ。県史の沖縄戦編では多くの若手に声を掛けたほか、数多くの市町村史の編さんを通して若手を育てた。南風原町史の編さんに携わった、ひめゆり平和資料館主任学芸員を務める古賀徳子さん(53)は「本当に残念だ。市町村史の事務局もたくさん教えてもらった。走り抜けた感じだが、まだまだやりたかったと思う」としのんだ。

 (中村万里子)