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米政策の影響読み解く 土地収用反対から政治へ <「島ぐるみ闘争」の新しい見方考える>村岡敬明


米政策の影響読み解く 土地収用反対から政治へ <「島ぐるみ闘争」の新しい見方考える>村岡敬明 土地を守る四原則貫徹県民大会=1956年
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 沖縄が本土に復帰するまでの20年間(1953年~72年)で生じた、強制収用に反対する島ぐるみ闘争や返還に伴う日米の外交交渉などの事象について、政治学の視点から論述した著書「米軍統治下での『島ぐるみ闘争』における沖縄住民の意識の変容」を刊行した大和大学の村岡敬明准教授に、研究成果や著者が発掘した新資料などについて寄稿してもらった。

 大学教育出版から今年1月に出版された新著は、全8章で構成している。第I章では「島ぐるみ闘争」における沖縄住民の意識の変容過程と本研究の意義について明示し、第II章では本研究のための資料調査、第III章では米軍による沖縄統治と占領政策についてそれぞれ記述している。

 総括的には、米軍統治下の沖縄が本土復帰を果たすまでの20年間(1953年~72年)を対象とし、沖縄住民の「島ぐるみ闘争」が軍用地への強制土地収用に対する反対闘争から本土復帰に向けた政治闘争へと変容する過程について分析したものである。すなわち、グレアム・アリソンの対外政策決定モデルを用いて、米国の対沖縄政策から沖縄住民の「島ぐるみ闘争」に及ぼした影響を独自に読み解くことで、「島ぐるみ闘争」の新しい見方を示す。

住民意識の変容

 まず、沖縄住民の「島ぐるみ闘争」の過程を第1期~3期に区分して、経時的な変貌を明瞭化した。第1期(53年~59年)は、朝鮮戦争休戦を契機として、米軍基地の初期整備が行われたことに、沖縄住民が反米・反米軍意識を強めた時期である。第2期(60年~67年)は、ベトナム戦争に備えて米軍基地が再整備・強化され、沖縄住民が県祖国復帰協議会を立ち上げて反発した時期である。第3期(68年~72年)は、米国の対沖縄統治政策への賛否から、沖縄住民が保革に分かれて政治闘争を繰り返しながら、本土復帰に向けて沖縄全住民の闘争意識が高揚した時期である。

 次に、米軍基地の整備・拡張のための強制土地収用に反対する沖縄住民の反米軍闘争における第IV章の具体例を、当時の新聞報道および沖縄教職員会軍用地問題対策委員会が現地調査した手書きの「伊江島実態調査報告書」と「伊佐浜・銘苅・具志実態調査報告書」などから(1)と(2)に記述する。

 (1)強制土地収用に反対する小禄村具志部落民が誰一人脱落することもなく、反米軍意識を高揚させて反対闘争を継続し続けた。そして、USCAR布令第26号に定められた軍用地の補償金を一切受け取らなかった。

 (2)宜野湾村伊佐浜部落民については、強制土地収用によって生活圏を奪われ、生存権すら危うい実情を沖縄住民側の視点から読み解いた。

 上記の強制土地収用にかかる沖縄住民の反米軍闘争に対して、基地を整備・拡張する米軍側は第V章の朝鮮戦争からベトナム戦争に向けて、沖縄基地を東アジアの反共最前線の最強基地に仕上げるという責務を認識していた。それゆえ、基地の拡張・強化後、その基地を永続的に保持し続ける方針で、(3)と(4)に示す沖縄住民の意識調査を密かに実施していたことが分かった。

 (3)米陸軍のCIC(対敵諜報部隊)は、朝鮮戦争時における沖縄の新聞報道や住民から聴取した意見などを「国際情勢における沖縄住民の反応」にまとめて、51年1月24日にGHQのG―2に機密情報として報告。報告した機密情報は、朝鮮戦争当時の沖縄における米軍側の動向と沖縄が朝鮮戦争に巻き込まれるのではないかという住民の不安感を煽(あお)る貴重な開示文書である。

 (4)在沖米軍から国務省北東アジア部に「小禄村具志部落の強制土地収用の件」が非公式メモで報告されていた。その中には、小禄村具志部落民の土地の反対闘争が特に激しく、最後まで一致団結して一人の落後者も出さなかったことにUSCARは狼狽(ろうばい)している様子が描かれていた。こうしたことに対して、以前、マクラーキン局長代理から「軍用地における土地収用は民主的に進めるように」と忠告を受けていた一文も併せて記述されていた。

 60年に県祖国復帰協議会が結成され、本土復帰をスローガンとした政治活動が拡大していく中で、67年に第2期の強制土地収用による軍事基地の再整備が完了した。

「米軍統治下での『島ぐるみ闘争』における沖縄住民の意識の変容」(2530円)

主席公選

 その一方で、沖縄住民の意識が、反米軍闘争の第2期から本土復帰に向けた第3期へと変容していった。特に、アンガー高等弁務官が68年2月1日に琉球政府行政主席公選の実施を発表してから本土復帰を果たす72年5月15日まで、復帰派・反復帰派・独立派による激しいイデオロギー闘争である第3期の「島ぐるみ闘争」が激化していった。第VI章の本土復帰を目指す第3期の「島ぐるみ闘争」における行政主席公選までの実態を(5)に示す。

 (5)68年5月14日に行政主席候補に保守の西銘順治を推薦する日本政府と、米軍基地の存続に役立つ人材を支援したい米国政府の実務者同士が東京で一堂に会して協議した。そして、協議内容をそれぞれの国に持ち帰って詳細に分析し、西銘を行政主席候補として正式に推薦した。その上で、西銘を当選させるための資金援助はもちろんであるが、日本政府首脳による立法院での演説の黙認、日本政府の予算による社会福祉の推進、選挙前のB―52の一時撤去、軍用地政策の中止などについて議論した。それ以外に、核貯蔵と基地の関係、および沖縄返還期日の設定などについても同時に検討がなされた。

 第VII章では、保革一騎打ちの行政主席公選から沖縄の本土復帰について述べている。沖縄住民の悲願であった本土復帰、すなわち沖縄の施政権が72年5月15日に日本に返還された。しかし、基地はそのまま存続する分離返還であった。

 以上、戦後の沖縄の本土復帰に至る「島ぐるみ闘争」を20年にわたって読み解いてきたのであるが、それが示唆する今日への課題を第VIII章に記す。沖縄住民が希求する共通の願いは、基地のない平和な沖縄を取り戻すことである。しかし、台湾やASEAN、あるいは太平洋の島しょ国などが抱える問題が解決されない限り、沖縄から基地が撤廃されることはないと言える。

 書籍「米軍統治下での『島ぐるみ闘争』における沖縄住民の意識の変容」刊行トークイベントが31日午後3時から、那覇市のジュンク堂書店那覇店地下1階イベント会場で行われる。著者の村岡敬明大和大学准教授のほか、東北公益文科大学の東江日出郎准教授、天津師範大学の王鵬飛講師が登壇する。入場無料。


 村岡 敬明(むらおか・たかあき) 1986年京都生まれ。大和大学情報学部准教授。専攻分野は「日本政治外交史」と「公共政策論」。戦後沖縄における住民意識と政治との関わりになどについて研究。読谷村との共同プロジェクト「沖縄戦後教育史・復帰関連資料」のアーカイブ化に尽力した。