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見事な詩と思想の一生 <川満信一氏を悼む>高良勉


見事な詩と思想の一生 <川満信一氏を悼む>高良勉 インタビューに答える川満信一氏=2007年5月24日、那覇市天久の琉球新報本社
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 間に合わなかった。2ヵ月ぐらい前から、電話をしても川満信一は取らなかった。気になり、友人の仲里効に様子を聞くと「寝たきりになっているらしい」と言う。来週にはお見舞いに行こうとしていた矢先、訃報が入ってきた。残念である。享年92歳。もっと語り合いたかった。

 川満信一は、文字通り戦後沖縄の思想家、詩人、ジャーナリストの巨星であった。私は、1978年から今日まで46年間ご指導、ご親交いただいた。まず、78年に『川満信一詩集』を恵贈していただき、読んで身震いするするぐらいの衝撃と感動を受けた。そして翌79年、私の第1詩集『夢の起源』に推薦・跋文(ばつぶん)の「詩の当面する困難性」を書いていただいた。私は、川満の詩と詩論から「詩には思想が盛り込めるし、共生の思想を表象すべきだ」と教わった。

 その後、川満と私たちは同人誌「ションガネー」を発刊したり、詩誌「KANA」に寄稿してもらったりした。そして川満は、個人誌「カオスの貌(かお)」を2007年に創刊し18年の12号まで出版し続けた。

 私は、川満の思想はまず『沖縄・根からの問い』より強い影響を受けた。琉球文化と思想の「根(ニーゴートゥ)」を探求して表現する事の重要性を教えられた。続いて、圧巻だったのは『沖縄・自立と共生の思想』であった。川満の本書によって、今日では「共生の思想」は常識となるまで、拡がっている。

 そして、私たちは共に『琉球共和社会憲法の潜勢力』を出版した。私の思想的クサティ(腰当て)には、いつも川満信一、新川明、岡本恵徳、島尾敏雄の著作と思想があった。この沖縄戦後思想の重要な鉱脈から学び、触発され、私は本当に幸運だったと思う。

 ジャーナリストとしての川満に関しては、書く紙幅があまりない。何よりも、「沖縄タイムス」紙の学芸部や『新沖縄文学』の編集長として、私に多くの原稿執筆を依頼し鍛えてくれた。新川明や上間常道たちと『沖縄大百科事典』を企画・編集・刊行したのも特筆される。

 私は、川満信一の生き様に憧れ、恐れてきた。まず、友人たちに恵まれ、酒を楽しみ92歳まで長命できたこと。これは、私もあやかりたいものだ。そして、驚くべき事に、92歳まで現役でバリバリで詩や評論の原稿を書き公表していたのである。この点こそ、真似できるか、恐れ多く心もとない。川満は、23年7月の未來社雑誌「未来」に「近代化と同化を考える」という注目すべき長い評論を発表している。

 川満信一は、詩人・批評家として現役のまま倒れ逝去した。沖縄では、あまり知られてなくて残念だが、日本の詩誌で最高峰と評価される月刊誌『現代詩手帖』で23年の9月号から現在まで連載詩「言葉破れて国興るか」を9回にわたって執筆している。「ぼくは秘かに情を込めて/洗骨の儀式を行う」(連載詩・7「ことばの洗骨」)。おお、みごとな詩と思想の一生よ。どうぞ、安らかにお眠り下さい。ううとーとぅ。合掌。

(敬称略)
(詩人・批評家・沖大客員教授)