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環境相 マイク遮断謝罪 「公害の原点」水俣病軽視 対応後手、野党は追及強め


環境相 マイク遮断謝罪 「公害の原点」水俣病軽視 対応後手、野党は追及強め 水俣病の患者・被害者らへの謝罪に訪れた伊藤環境相(右)=8日午後、熊本県水俣市
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 環境省が懇談の場で水俣病患者・被害者団体の発言を遮った問題は8日、トップの伊藤信太郎環境相が熊本県水俣市で謝罪する事態に急転した。当初は担当職員だけが出向く予定だったが、「公害問題の原点」とされる水俣病を「軽視した」との批判がやまず、対応は後手後手に。岸田文雄首相が売りにする「聞く力」とは裏腹に、被害者側を逆なでする行為だったとして、野党は伊藤氏の責任追及を強める。 (1面に関連)

既に1週間

 「謝罪に参りました」。8日夕、熊本県水俣市の施設内に集まった団体代表らに、伊藤氏は沈痛な面持ちで口を開いた。マイクを握った患者支援者の山下善寛さん(83)は、当事者の要望を聞く1日の懇談の場を振り返り、伊藤氏の監督責任は重いと強調。「環境行政がどうあるべきか、考えていなかったのでは」と怒りをあらわにした。
 マイクの音量が消えたことは、懇談の場で多くの人が気付き、その場でも非難の声が上がった。環境省は職員の「不手際」と釈明し、伊藤氏も「マイクを切ったことは認識していません」と述べるにとどめた。
 だが団体側の反発や批判的な世論が高まり、環境省は7日、伊藤氏の指示に基づき特殊疾病対策室長が謝罪に向かうことを決定。ある幹部は「このままでは収まりがつかない」と漏らしていた。
 一転したのは8日午前。環境省事務次官が首相官邸を行き来して調整を進め、伊藤氏の熊本行きが決まった。同省関係者は「伊藤氏はすぐにでも行きたい気持ちがあった」と説明するが、そもそも懇談から既に1週間を要し、額面通りに受け取る向きは少ない。8日の謝罪の場でも、被害者側から、なぜ急に方針が変わったのかと問われたが、伊藤氏はあいまいな説明に終始した。

問責決議

 戦後の経済成長を優先させる中で起きた公害問題の再発を防ぐため、環境省の前身である環境庁が発足したのは1971年。伊藤氏は水俣病を「環境行政の原点」と強調するが、「問題を過去のものと思っているのではないか」との疑念が関係者の間に渦巻く。
 立教大の関礼子教授(環境社会学)は、懇談の場が官僚にとって「『いつものこと』となり、慰霊の気持ちが入らなくなった。水俣病を起こした国の責任が忘れられている」と厳しく非難する。
 岸田文雄首相は現時点で伊藤氏の更迭は考えておらず、8日の謝罪を区切りとしたい考えだ。だが同日開かれた立憲民主党のヒアリングでは「懇談の終了直後に動かなかった時点で、大臣として不適格」「岸田政権の問題だ」との意見が相次いだ。
 大臣の謝罪に及んでも、環境省は「ひとえに事務方のミス」「(マイクを切るのは)代々の引き継ぎ事項」などと、説明内容を変えながらも、泥をかぶろうと躍起だ。しかし立民のベテランは、この説明を「役人に責任を押し付けるためのストーリーではないか」といぶかり、こう宣言した。「伊藤氏の問責決議に値する。まだ終わらない」