【交差点】被災地救援に沖縄が一役


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 不運にも、スマトラ沖でまた大規模な地震が起こった。記憶に新しい昨年末のスマトラ沖地震から3カ月。被災地から遠く離れたバンコクに住んでいる私は普段通りの生活をしている。だが、いつどこで自然災害に出くわすか分からない時代になってきた。
 その後のタイは、タイ人にとって未知のものであった津波がそのまま流行語となり、タイ人歌手が「TSUNAMI」という曲を作り、被災者のめい福を祈った。タイ最大の被災地プーケットでは、多くの遺体が腐敗し、その悪臭仰制に沖縄で開発されたEMが散布された。臭気軽減に一役買ったことは、沖縄出身の私にとってとても誇らしいニュースであった。
 このほか多く散らばった被災者の遺体から貴金属類や財布などを盗む津波泥棒が多発したかと思えば、被災者家族に政府から義援金が支給されるため、多くの遺体泥棒が出たのも事実である。
 プーケットをはじめカオラック地区は、政府が多額の予算を投じ復旧作業に全力を挙げている。少しずつだが、元の姿に戻りつつある。そんな中、再び大地震が起こり、住民や観光客は不安を隠せないことだろう。観光産業で成り立っている地域だけに、今後の影響が心配である。
 (バンコク在住・主婦)