【交差点】情熱


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 「アメリカに生きる」。これは私が来年自費出版を予定している本のタイトルである。2009年をもってアメリカ生活も40年目を迎える。年齢もとうに還暦を過ぎたが、常に情熱を持って生きてきた。08年10月23日は日本エッセイスト・クラブ会員に認定された日として明記したい。

 米国には何十万人の日本人がいる。特に南カリフォルニアには多くの日本語の出版物があり、優秀なエッセイストが大勢いるのだが、ドキュメンタリー作家の飯沼信子さんは私を同クラブに推薦した。近・現代研究所の今森貞夫主宰は電子メールで「飯沼さんが一肌脱いでくれたことに驚いています。よく人を見ておられるのですね。彼女は使命感を貫き通した傑物女性です。海外から歴史人物を通して物事の視点をしっかり見て主張する稀(まれ)な人物です」と書いてきた。
 01年に琉球新報の通信員になってから8年が経過、その間エッセーと取り組んできた。多くの留学生と接触、最近の若者の文章表現法を学んだ。04年から06年まで南カリフォルニア大学(USC)の修士課程に留学した沖縄市出身の外間裕子さんに格別なるアドバイスをもらい、おかげで私の文章力は一段と磨きがかかったと自負し、感謝している。
 私は昔の「校歌」が大好きである。「ますらお、健児、久遠(くおん)や永久(とわ)の理想」などがいっぱい出てくる。それらは不老、不滅、熱情を表現しているのではと勝手に解釈している。
 これまでエッセーを通して米国という国が日本の人々にもっと理解してもらえるよう努めてきた。特に沖縄では米軍の膨大(ぼうだい)な基地があり、軍との摩擦が絶えないので住民の間で米国不信が募る場合が多々ある。その解消に私の小論が多少なりとも役に立つようであれば努力のしがいもひとしおといえるだろう。それが私のパッション(情熱)であり、ミッション(使命)だと肝に銘じている。(当銘貞夫、ロサンゼルス通信員)