【チャイナ網路】一青窈の血筋


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 2002年、「もらい泣き」で衝撃のデビューを果たした一青窈。台湾でも映画、CMと活躍している。本名は、顔窈。歌詞に中国語を織り込むほどの中国語力は、恐らく台湾人の父親譲りだ。台湾の名家「基隆の顔家」の血を引いているのだという。
 顔家といえば、戦前隆盛を極めた「台湾五大家族」のひとつ。板橋の林家、霧峰の林家、高雄の陳家、鹿港の辜家に並ぶ名家だ。1914年、採掘量が激減したことを理由に日本人が手放した金鉱を顔雲年氏が買収。再採掘に成功し、巨万の富を成している。
 教養人としても知られた顔一族は、論語にちなみ邸宅を「陋園」と命名。文化人のサロンとする一方、一族を次々と日本の一流大学に留学させて、歌人や学者を輩出した。戦後、鉱脈の枯渇で家運は大きく傾くが、今でも政財界に、その血筋を継ぐ者は少なくない。
 一昨年、台湾で行われたコンサートで一青窈は、中国語で聴衆に語り続けた。歌う歌詞は日本語だったが、渾(こん)身の歌唱に涙した人も多いという。その芸術性の高さが、「さすが顔家の血筋」とも評されている。
(渡辺ゆきこ、本紙嘱託・沖縄大学助教授)