【交差点】4度目のW杯


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 四季がない東南アジアで長年暮らしていると物事を季節や背景で記憶することが難しくなる。そんな私にとって、4年に1度のワールドカップはいろいろな思い出の背景として大事な役割を担っている。日本が参加せず、シンガポール大学で猛勉強していた時のアメリカ大会は決勝だけ観戦したが、ドラマチックなロベルト・バッジオ(イタリア)のPK失敗は今でも鮮明に覚えている。そのころは沖縄を出てまだ1年たっておらず、毎日が不安だった。
 日本が初参加したフランス大会ではベトナム、ホーチミンに駐在員として滞在しており、ホーチミン日本人会若手会メンバーと日本の応援にすべてを忘れ、中山のゴールに力をもらえたような気持ちになった。日韓大会では、みずほ銀行シンガポール支店勤務時で毎日夜遅くまで残業しており、上司の目を盗んで銀行近くのスポーツパブで観戦し、銀行に戻るというような今では信じられない生活を懐かしく思う。
 沖縄を出て4度目のワールドカップ、起業してから最初のワールドカップに当たるドイツ大会が始まり、これまでの道のりを振り返り、思うことは多い。次回の南アフリカ大会までには何を成し遂げ、どのような新しい目標を見つけることができるか。
 サッカー選手同様、これまでの4年間の集大成を問い、祭典後は、新たな目標に向かう。それほどのサッカー狂でもない私だが、ワールドカップは私にとり、人生目標プランの周期として位置している。
 残念ながら日本は1次リーグ突破はならなかったが、大会期間中はアジア勢の健闘を楽しみに、また世界のハイレベルなプレーを純粋に楽しみたいと思う。
 (遠山光一郎・シンガポール現地法人社長)