琉球台湾商工協会の張錬楷会長が亡くなった。葬儀は東京での密葬のみ。ただ、故人が愛し続けた沖縄で2日、「しのぶ会」が催された。実行委員長の台湾前首相をはじめ、750人が別れを惜しんでいる。
初めてお会いしたのは、3年前の台湾表敬訪問の折だった。わずか3日で陳総統ほか4閣僚と会見するという日程。随行通訳を務める筆者の不安をよそに、外務省の通訳官を制し筆者に通訳を命じては、大臣相手にガンガンまくしたてる会長は、とにかく“強引で怖い人”でしかなかった。
ところが、その仕事が認められたのか、その後会長の表情は変わった。強引さは相変わらずだが、家族のように優しく接してくださったことが忘れられない。奥さまとの仲むつまじい様子に、一時奥さまの重病が伝えられた際は、「会長が心痛で倒れるのでは」と、心配したこともあった。
「うそでもウレシ」と子供のように笑う顔。自らを語らなかった会長の素性は筆者にとってほとんど不明のままだ。とてつもなく怖くて優しかった会長。「しのぶ会」の牧師は「僕に徹されたのだ」と語っていた。ご冥福を祈る。
(渡辺ゆきこ、本紙嘱託・沖縄大学助教授)
【チャイナ網路】張錬楷会長を悼む
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琉球新報社
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