香港で働く県出身者は少なくない。Aさん(32)もその1人だ。先日5年ぶりに香港で再会した彼は、日系商社の中間管理職。あの“のんびり屋”が、人ごみを飛ぶように歩いた。今では世界を舞台に活躍する教え子の成長ぶりが、まぶしかった。
道は、決して平坦(へいたん)ではなかった。県内大学で中国語を学び、卒業後、中国の日系企業で3年間労務管理を担当。一度沖縄に戻るが夢破れ、再度旅立った経緯がある。香港で求められた英語力に、「英語で夢を見たこともある」というほどの苦労も舐(な)めた。
今では、筆者をはるかに上回る高給取りだ。週休2日の週末には、摩天楼を望む沖で釣り糸を垂れ、時には豪華クルーズ船で1泊2日のカジノツアーに興ずる。完全能力主義の現地採用に不安がないわけではないが、チャレンジを楽しんでいるようにも見えた。
「香港で就職したい」と県人から相談を受けることもあるが、「新卒の香港就職は難しい」と彼は答える。まずは3年キャリアを積むこと。キャリアを積みつつ中国の商習慣も習得できる、日本企業の中国支社が狙い目だ。
(渡辺ゆきこ、本紙嘱託・沖縄大学助教授)
【チャイナ網路】香港で働く
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琉球新報社
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