【カナダ】文通で日本語上達 仲泊さん、県費留学で琉大へ


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 心地よい日差し、街角に咲き乱れる桜、そしてはるか山頂に残る白い雪。バンクーバーは一年で一番美しい季節を迎えている。
 一九八三年に始まったカナダの「沖縄県費留学生制度」は今年で二十二年が過ぎ、二十五人の若者たちが琉球大学や沖縄県立芸術大学で一年間の留学という恩恵を受けてきた。

 カナダではブリティッシュコロンビア州、オンタリオ州、アルバータ州の三州が持ち回りで、年に一人の留学生を選出している。今年はバンクーバー沖縄県友愛会から仲泊ロッキー・兼さん(二〇)=クワントレン・カレッジ在学=が琉球大学へ留学することが決まった。
 仲泊さんの父親は北中城村出身、母親は糸満市出身。小学校一年の時から日本語学校へ通っていた仲泊さんは十歳の時に沖縄へ行った際、祖父や親せきに「ケンちゃんは日本語が上手だね」と褒められた。しかし成長するにつれて英語で会話するほうが楽になっていった仲泊さんは十四歳の時、いとこから「兼、ちょっと日本語忘れてきたんじゃない?」と言われ、ショックを受けたという。
 「ウチナーグチや日本語をもっとちゃんと勉強しよう」と強く思った仲泊さんは、高校、大学と日本語のクラスを取り、毎年一番優秀だった生徒に贈られるトップアワード賞をもらった。私生活でも日本の友人と文通を続けたりして日本語向上に努めている。
 また県人会活動のひとつである琉球太鼓クラブに所属、大太鼓を練習していくうちにエイサーに魅せられ、ほかの二世メンバーたちと常に新しい踊りに挑戦している。
 「沖縄を知りたい。日本を知りたい」と強く思うようになった仲泊さんは昨年秋、県費留学生に応募、選考の結果選出された。「日本語をはじめ沖縄の歴史、太鼓や三線などの芸能や文化を学び、時間があれば二〇〇一年に参加したアイスホッケー親善交流試合で共に汗を流した沖縄の仲間たちと一緒にホッケーを楽しみたい」と意欲満々なところを見せている。
 これまでに県費留学から戻って来た留学生たちは、機会あるごとに自らの留学経験を語り、またそれぞれの人生設計においてもその経験を生かして活躍している。
 (奥間ひとみ通信員)