<未来に伝える沖縄戦>長男は湖南丸で沈んだ 長堂トヨさん(82)


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長堂トヨさん(82)

 那覇市の長堂トヨさん(82)は沖縄戦当時、16歳。戦争で両親、きょうだいを亡くしました。長堂さんの体験を豊見城中3年生の外間奈沙さん(15)、新垣楓さん(15)が聞きました。

 私は7人きょうだいの3番目。一番上のお姉さんは大阪にいて、長男は湖南丸で沈んだんです。それから私、6年生の弟、その下に3人の妹がいました。

 《沖縄戦が始まる前の1943年、長堂さんのお兄さんは鹿児島に行こうとします》

 お兄さんは当時19歳。体格もしっかりしていて、「来年は自分は兵隊検査だけど、(ウチナーグチしか話せず)日本語が分からない。日本語を習うために本土に行かせてくれ」と頼んでいた。両親は「絶対行かせない」と反対したんですよ。だけど、兄は「自分はこの体格だから、兵隊は免れない。日本語を習ってくるから行かせてくれ」と。どうしても親が反対したから今度は家を出て行って。
 1週間したら家に帰ってきて「どうしてもお願いがあります。印鑑がないと船に乗れない。行かせてくれ」とひざまずいて頼んだんです。そしたら父は「どうしても行くのか。仕方ない」と印鑑を押した。兄は「ありがとうございました」と最敬礼して出て行きました。月夜の晩でした。

※続きは〈上〉9月24日(土)、〈下〉25日(日)付紙面をご覧ください。