豊かな海 子どもらに 辺野古アセス訴訟あす判決


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「基地はいらない」とピースキャンドルを続けている渡具知智佳子さん(中央)、娘の和紀さん(右)、和奏さん=15日、名護市瀬嵩

 米軍普天間飛行場代替施設建設に伴う名護市辺野古のキャンプ・シュワブ沿岸部での環境影響評価(アセスメント)手続きに不備があるとして、県内外の622人が国にアセスの方法書や準備書のやり直しと、損害賠償を求めた訴訟の判決が20日、那覇地裁で言い渡される。

「豊かな自然を育む海に基地はいらない」。建設計画の中止を求める原告住民の思いは切実だ。一方、県内外の自然保護団体はアセス手続きの不備を指摘し“環境に対する正義”を「強く求める」と、判決を注目している。
 2012年2月1日、那覇地裁の101号室。この訴訟の証人尋問で、名護市瀬嵩の渡具知智佳子さん(51)は「辺野古に基地は絶対にいらない」と訴えた。その思いは建設計画が浮上した約16年前から、ずっと一貫している。「結論ありき」のアセスは、弱者を犠牲にする国のやり方が透けて見えるという。「辺野古や米軍普天間飛行場周辺の子どもたちのために、基地はアメリカに持って帰ってほしい」
 旧大里村(現在の南城市大里)で生まれた渡具知さんは、移設先の大浦湾に面する瀬嵩区に嫁ぎ、豊かな自然を育む海に心を奪われた。そんな中、浮上した基地の建設計画。当時から反対を訴えたが、周辺地域には容認する空気が漂っていた。「反対するのがおかしいと見られてしまう風潮があり、基地関係の集会に行けば疎まれ、過激派扱いされたこともある」と振り返る。
 だが、今の雰囲気は違うという。09年に当時の鳩山由紀夫首相が「最低でも県外」を公約。地元名護市では県内移設反対を表明した稲嶺市政が誕生した。中央政権は「辺野古推進」に変わったが、渡具知さんの周囲でも、口をつぐんでいた人たちが、徐々に移設反対の声を上げ始めた。04年から毎週土曜日、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブのゲート前でろうそくをともし、移設反対を呼び掛ける「ピースキャンドル」にも、声を掛けてくれる人も増えた。
 アセスのやり直しを求める訴訟で証人尋問に立ったのは、子どもたちのためだ。数年後、子どもたちから「基地問題に揺れ動くこの時に、大人たちは何をしていたの」と聞かれた時「しっかり答えられるようにしたい」。さまざまな不備が明らかになった国のアセス手続きを裁判所はどう判断するか。渡具知さんは証言台で訴えた思いを胸に、地元に寄り添う判決を待っている。(嘉陽拓也)