天皇を「政治利用」 「主権回復」式典 識者ら指摘


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政府の4・28主権回復式典開催に抗議して開かれた沖縄平和運動センターの緊急集会=13日、那覇市の県民広場

 サンフランシスコ講和条約(対日講和条約)発効の1952年4月28日を「主権回復の日」とする政府主催の式典が来月28日に開かれることに、この日を日本から切り離され、米施政権下に置かれた「屈辱の日」とする沖縄では政府への抗議や反発が強まっている。

条約締結には、47年に昭和天皇が沖縄の長期占領を米側に要望した「天皇メッセージ」が大きな影響を与えたとされており、天皇皇后両陛下の式典出席に県内の識者からは、天皇を元首とした改憲を訴える安倍晋三首相ら政権の「戦前志向」の姿勢を指摘しながら、「政治利用ではないか」と批判する声が出ている。
 天皇陛下は皇太子時代の1975年に初めて沖縄を訪れ、これまでに9度来県している。
 昨年12月の誕生日会見では11月の沖縄訪問を振り返り「沖縄はいろいろな問題で苦労が多いことと察しています」と気遣い、「日本人全体が沖縄の人々の苦労している面を考えていくことが大事」と話した。
 式典開催が閣議決定された翌日の13日、那覇市の県民広場では、「日本政府による沖縄切り捨て『4・28主権回復式典』糾弾!緊急集会」(沖縄平和運動センター主催)が開かれ、参加した市民らが「式典開催は許されない」と政府に怒りを突き付けた。

<用語>天皇メッセージ
 1947年9月、連合国軍総司令部政治顧問シーボルトが「琉球諸島の将来に関する日本の天皇の見解」としてまとめた書簡のこと。昭和天皇が側近の宮内府御用掛・寺崎英成を通し、沖縄の長期占領を希望することを口頭で伝えた。書簡で天皇は、沖縄占領は日米双方に有益であり、ロシアなど共産圏の干渉を懸念する日本国民の賛同も得られるとの見解を示している。進藤榮一氏が79年に岩波書店の月刊誌「世界」で発表した。

英文へ→Okinawan Intellectuals criticize Japanese government for political use of the Emperor