普天間返還22年度以降 日米合意


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 【東京】日米両政府は5日、普天間飛行場を含む嘉手納基地より南の米軍6施設・区域の返還・統合計画に合意した。県が県外移設を求める普天間飛行場については名護市辺野古移設を前提に9年後の「2022年度またはその後」と明記。計1048ヘクタール余りのうち、地元が早期返還を要望している牧港補給地区についてはトリイステーション、キャンプ・ハンセン、嘉手納弾薬庫の3施設への移転を条件に倉庫地区を含む大半部分を「25年度またはその後」に返還するとした。小野寺五典防衛相が6日来県し、仲井真弘多知事に説明する.

 基地の返還で沖縄の負担が軽減されることを強調し、安倍政権として辺野古埋め立てに必要な知事の承認を得るための環境整備を図る狙いがある。ただ、県側が県外移設を求める姿勢は変わらず、理解を得る見通しは立っていない。
 安倍晋三首相、ルース米駐日大使は官邸で同日午後会談し、計画実現へ協力することで一致。首相は「普天間の固定化は絶対にあってはならない。日米合意を責任を持って進めていかなければらない」と述べ、辺野古移設に強い意欲を示した。ルース氏は「沖縄への影響を軽減し、地域の安全を守る日米安保にとって重要な合意だ」と強調した。
 普天間は司令部機能と飛行場を辺野古のキャンプ・シュワブに移設することが返還条件。それ以外の5施設・区域は13カ所に分け、最短返還年度を明記したが、「遅延する場合がある」とした。
 13カ所のうち牧港補給基地の北側進入路(1ヘクタール)は早ければ今秋にも返還可能としている。海兵隊住宅があるキャンプ瑞慶覧の西普天間地区(52ヘクタール)は14年度以降となる。
 牧港地区は県内への機能移転を条件に25年度以降129ヘクタール、残り142ヘクタールは国外移転を条件に24年度以降に返還可能とした。
 キャンプ瑞慶覧内の西普天間住宅地区と隣接するインダストリアルコリドー地区は「19年度またはその後」、陸軍貯油施設の第1桑江タンクファーム(北谷町)は普天間飛行場移設と同時で「22年度またはその後」に返還可能とした。
 那覇軍港は浦添ふ頭への移設を条件に「28年度以降」と明記。計画の進展状況に応じ、返還時期を3年ごとに更新し、公表する。
 日米両政府は普天間の返還時期をめぐり1996年以降「5~7年以内」「14年まで」と返還時期を設定していたが実現できなかったため、今回の計画では返還期限を区切らなかった。
 日本政府は関係省庁の局長級によるワーキングチームを設置し、返還計画の実現を目指すとしている。