『四つの小さなパン切れ』 マグダ・オランデール=ラフォン著、高橋啓訳


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極限で青白く燃える生
 ナチス政権下のドイツでは数百万人のユダヤ人が虐殺された。つい70年ほど前のことだ。この事実に私たちはどう向き合えばいいのだろう?

 16歳の時、ハンガリーから連行された著者はアウシュビッツに強制収容された。母と妹は到着後すぐにガス室に送られた。数少ない生還者となった彼女は以後、母語を捨て、誰にも過去を語らずに時を過ごした。30年を経て、彼女は心の奥底に沈めた記憶を少しずつ汲み出しては言葉にとどめ始めた。それは短い断章からなり、時に詩のような言葉が差し挟まれる。
「私の記憶は呼び声に痛ましくひらかれる。自分を埋めたあの長いトンネルからわたしは出てくる。/数千のまなざしが消えた/わけもわからないまま。わたしは呼び出される/苦しみと/屈辱でいっぱいの、/飢えで輝き、/渇きで消えるあのまなざしに。」
 死と暴力と飢餓に満ちた状況が最小限の言葉でつづられる。だが異様な衝迫力を持つ文章から伝わるのは、むしろ生きることへの強い意志である。パン切れをくれた瀕死の女性、勇気を語り続けた仲間、体をこすりつけてきた番犬、風が運んできた鳥の羽。それら一つひとつに16歳の少女は生きる希望を見いだした。
 だから、本書から受け取るのは闇の濃さよりも光の強さ、極限で青白く燃える生の輝きだ。長い沈黙ののち再生した彼女の言葉を通して、私たちは人間の底知れぬ深さに触れることができる。そこで起こったことに少しだけ近づくことができる。
 (みすず書房 2800円+税)=片岡義博
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片岡義博のプロフィル
 かたおか・よしひろ 1962年生まれ。共同通信社文化部記者を経て2007年フリーに。共著に『明日がわかるキーワード年表』。日本の伝統文化の奥深さに驚嘆する日々。歳とったのかな。たかが本、されど本。そのあわいを楽しむレビューをめざし、いざ!
(共同通信)

四つの小さなパン切れ
四つの小さなパン切れ

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マグダ・オランデール=ラフォン
みすず書房
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『四つの小さなパン切れ』マグダ・オランデール=ラフォン著、高橋啓訳
片岡 義博