恩師に感謝伝えたい 台湾の戴医師、宮古島の遺族に手紙


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 【宮古島】六十数年前に世話になった宮古島出身の恩師に会い、感謝を伝えたい―。台湾南部の高雄在住で高雄県医師公会理事長の戴文凱(たいぶんがい)さん(78)が、恩師を捜してほしいとの手紙を琉球新報社などに託した。

恩師は日本統治時代に台湾で学校長をしていた宮古島出身の松川浩さん。松川さんは既に故人となっていたが、手紙を通して思いは家族に伝えられた。家族は「父とのつながりを大事にしてくれたことがうれしい」と話す。
 戴さんは9月にも来県し、宮古島市で松川さんの家族と会うほか、墓参りをする予定だ。
 戦争直後の混乱期、松川さんから勉強を教えてもらったという戴さん。手紙によると、松川さんは1944年ごろ高雄・永安小学校の校長を務めていた。だが日本の敗戦で職を解かれ、苦しい状況に。敗戦から宮古に引き揚げるまでの間、戴さんの家庭教師をしていたという。
 引き揚げ後、一時は手紙をやりとりした時期があったが、再び連絡が途絶えた。戴さんはその後、高雄医学大学に進み、医師になった。今は高雄県医師公会の理事長に就くなど活躍の幅を広げている。
 今回、資料を整理する際に当時の手紙を見つけ、再び連絡を取ろうと、本紙や宮古島市に人捜しの手紙を出した。
 だが、捜していた松川さんは戦後、旧下地町の助役などを務めた後、62年に亡くなっていたことが分かった。
 戴さんからの手紙に松川さんの次女・金城絹枝さん(77)は「当時のはがきを大事に残していたのはすごいことだ。半世紀前のことを思い出し、家族で思い出話が続いている」と手紙を手に感慨深げ。
 長女の真栄田昭子さん(85)は「父が台湾の人と交流があったことを知らなかった。私たちの知らない父を知っているかもしれない。会った時にいろんな話をしたい」と語った。
 戴さんは、恩師の家族と会えることについて「眠れないほどうれしい。今後も連絡を取り続けたい」と宮古島訪問を心待ちにしている。

戴さんからの手紙を手にする真栄田昭子さん(右)と金城絹枝さん=5月30日、宮古島市下地川満
高雄県医師公会理事長の戴文凱さん