辺野古移設、埋め立て固執せず 北沢元防衛相


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北沢俊美元防衛相

 民主党政権時代に鳩山、菅内閣で約2年間、防衛相を務めた北沢俊美参院議員が9日までに琉球新報のインタビューに応じ、米軍普天間飛行場の返還・移設問題の対応を振り返った。

2010年5月に米政府とあらためて合意した名護市辺野古移設計画について「(在沖米海兵隊の)定数、実数が減る中、埋め立てなくてもキャンプ・シュワブ(陸地)の中へ滑走路を造る可能性もあるのではないか」と述べ、沿岸部を埋め立てる現行案にこだわらなくてもよいとの認識を示した。
 理由として06年の在日米軍再編合意に固執していた米側の姿勢が自身の退任後に大きく変化したと指摘。在沖米海兵隊4千人のグアム移転と同5千人の国外分散移転、海兵隊のオーストラリアなどへの巡回展開計画を進める米国防戦略について「常駐なき安保の先駆け」との見方を示した。
 辺野古移設では「知事が埋め立てを許可して工事に入るとなった時の抵抗は相当厳しい」などと述べ、就任当初から実現性には厳しい見方を持っていたとも説明した。
 一方で09年9月の民主党政権発足後に移設先の再検証を始めたが、同10、11月ごろには既に「日米合意を守るしかない」と考えていたとも明かした。
 防衛省が当初から「辺野古ありき」の姿勢だったとの指摘があることには「防衛省には基地の立地場所を選び、自治体の説得工作をしてきた歴史が半世紀以上ある。(移設先の変更は)簡単ではないという思いは非常に強い」と述べた。