戦演じる 戦を歩く 沖縄戦を伝え続ける


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 戦後68年、それぞれの思いとやり方で沖縄戦を伝え続ける人がいる。うちなー芝居俳優の北島角子さん(82)は、座間味島の「集団自決(強制集団死)」の聞き取りをして脚本を書き、一人芝居で演じる。浦添市の会社員仲村真さん(57)は県平和祈念資料館友の会のガイドとして、暮らしのすぐそばにある戦跡を歩く、一般向けの野外学習を続けている。

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「集団自決」自ら脚本/一人芝居「赤いブクブクー」俳優・北島角子さん
 座間味島の「集団自決(強制集団死)」体験者から話を聞き取り、自ら脚本化した俳優・北島角子さん(82)による一人芝居「赤いブクブクー」の公演が9日、那覇市の沖縄大学であった。同大学55周年特別企画で開催され、250人を超える観客が会場を埋めた。沖縄の人々が生きたさまざまな「証し」を題材に一人芝居を上演してきた北島さんの舞台はこの日、1216回を数えた。米軍上陸による大混乱の中で、死を選ばざるを得なかった家族の最期を切々と演じた。観客はかたずをのんで舞台を見守った。
 舞台では戦後、家族の「集団自決」の話を一切してこなかった主人公ツルが、娘にせがまれ初めて過去を言葉にする。とつとつとしたうちなーぐちが、見る者の悲しみを深めた。
 舞台後、北島さんは、憲法9条をうちなーぐちで読み上げた。同大国際コミュニケーション学科4年の阿嘉洋一さん(21)と、子ども文化学科1年の内間輝(ひかる)さん(18)が共通語で読み上げた。阿嘉さんは「今の憲法によってこれまで戦争をしてこなかったことを考えると、変えちゃいけないと思う。きょうも読みながら実感した」と話した。内間さんは「昔の人が平和を守ろうとつくった憲法をどうするのか、政治家ではなく国民や県民が誠実に考え、納得して決めることが大事だと思う」と語った。
 北島さんは舞台後「親のゆしぐとぅ(寄言)を大切に」と繰り返し、最後に「すくぶん(職分)を持って平和を考えたいと、舞台の仕事を続けている。皆さんもそれぞれのすくぶんを尽くして、いい世の中ちくてぃ いちゃびらや(つくっていきましょう)」と、観客へ言葉を贈った。
 同大の仲地博副学長は「私個人の、また沖大のすくぶんを考えていきたい。北島さんのように沖縄に根を張り、支持される大学でありたい」と語った。
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戦跡たどり野外学習/平和祈念資料館友の会 ガイド・仲村真さん
 中部から那覇にかけて、暮らしの足元に眠る沖縄戦の激戦地を訪れる野外学習を企画・実践する、県平和祈念資料館友の会のガイド仲村真さん(57)=浦添市、会社員=は、現場を歩くことにこだわる。那覇市の新都心や真嘉比から首里へ続く道、浦添や宜野湾市内の高地など日米激戦の道程を調査し、野外学習を開催して多くの市民を案内してきた。「戦跡に行ったことのない人は多いが、目で見て事実を確認することが大切だ」と語り、土地が語る戦争の記憶に耳を傾ける。
 2日に行われた野外学習には45人が参加。仲村さんは「当時子どもだった60代、70代の人が、沖縄戦を知りたいと参加することが多い。若い人はほとんどいない」と、若い世代の参加に期待する。それでも、この日は20代の姉妹が参加し、熱心に話に聞き入った。
 沖縄戦の実態を学び、「隠れた小さな戦跡を探したい」と10年前、平和祈念資料館友の会のガイド講座を受講した。その後、多くの野外学習を企画、個人的にも戦跡を案内する。活動の原動力の一つは、旧日本軍の軍人だった父忠栄さん=故人=と、戦死した伯父・彦太郎さんの存在だ。
 忠栄さんは日中戦争から南方へ転戦する際、乗っていた船が米軍の潜水艦に攻撃され大勢の戦友が亡くなる中、九死に一生を得た。彦太郎さんも日中戦争に従軍したが、沖縄に戻って静かに暮らしていたところを再び徴用され、伊江島で亡くなった。「父は生前、人がたくさん亡くなった場所だからと、沖縄本島南部には一度も行かなかった」と振り返る。
 22日午前10時から、野外学習を開催する。浦添市前田から伊祖、嘉数高地を巡り、宜野湾市我如古のチンガーガマ(住民が避難していた井戸と通じるガマ)を訪れる。道程約5キロ、参加費500円。問い合わせは仲村さん(電話)090(4980)5119まで。
 (石井恭子)

沖大の学生と共に憲法9条をウチナーグチで伝える俳優・北島角子さん=9日、那覇市の沖縄大学
戦跡を歩く野外学習を企画・実践する県平和祈念資料館友の会のガイド仲村真さん=6日、浦添市仲間の為朝岩